THE JR Hokkaido 2000年5月号
イラスト 中舘侑子さん


〔トキシラズ〕

 5月、北海道を桜前線が北上する。
 本州から道南の函館や松前に上陸した桜の開花前線は、森、静内、札幌、旭川、そして稚内、釧路、根室。歩くよりもゆっくりしたスピードでうららかな春の訪れをふれ回る。
 最北の稚内より、ほぼ札幌と同じ緯度にある釧路、根室の方が若干後になる。
 というのは海の温度がちがうためだ。稚内沿岸には遠く九州から暖流の対馬海流が流れ込んでいる。一方の道東太平洋沿岸を流れるのはカムチャッカ、千島沿いを流れてくる寒流の親潮だ。
 そのため、釧路、根室では5月下旬、年によっては6月に入ってから、日本で一番遅い花見を楽しまなければならない。
 しかしこの親潮、冷たいにかかわらずプランクトンが飛び抜けて豊富で、海洋生物の宝庫。語源は「生命を育てる親」だといわれているほどだ。
 春一番、故郷の川に帰るため、この潮の流れを逆に上っていく魚の一群がある。トキシラズだ。
 北海道で捕れるサケはアキアジ(秋味)とトキシラズ(時知らず)に大別できよう。アキアジは日本の川に帰ってくるサケで、川に上る前に海で漁獲される。トキシラズはシベリアのロシアと中国との国境を流れるアムール川(黒龍江)に上るとされている。それが日本沿岸を通るとき、流し網や定置網で漁獲される。
 トキシラズという名には、アキアジと同じ種類なのに秋ではなく春に捕れるので、時をまちがえたサケ、という意味が込められている。魚がまちがえたわけではなく、人間の勘ちがいにすぎないのだが。
 トキシラズは産卵までまだ十分な月日があるので身に脂が乗っている。その点がアキアジとの大きなちがいだ。かつてはほとんど塩ザケにされていたが、最近は生が流行り。そのため漁船も捕れたらすぐに氷詰めにし、急い帰港する。
 炭火で切り身を焼く。身がこんもり盛り上がってくるのは脂が乗っている証拠。おっと炭火から煙が立ちはじめた。脂がしたたり落ちている。
 さあ、いただきだ。ドバッと醤油をかける。でもその醤油がしみ込まずに玉になって転げ落ちる。やっぱり大根おろしが必需品。
 いよいよ口に含む。すると……。

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