北海道食材ものがたり 8 メロン

道新TODAY 1998年8月号



 初物が1玉10数万円ものご祝儀相場をつけ、デパートに飾られた、といったニュースとともに今年もメロンの季節がやってきた。おみやげ屋の店頭にメロンの箱が並べられ、贈答の主役もアスパラからメロンにとって変わられた。
 札幌中央卸売市場に入荷するメロンは年間30億円前後。市場でメロンは果物として扱われるが、その中でもメロンはダントツの金額だ。いまや北海道の果物の王様と言って良いのかもしれない。

 そんな道産メロンのルーツを求めて夕張市を訪ねた。市街に入るとあるわあるわ、店という店に「夕張メロン」の看板とのぼり。ここは夕張市ではなく夕張メロン市だったのでは、と思ってしまうほど「夕張メロン」の文字で埋まっている。

 しかし街にあふれるこの「夕張メロン」は市の名前のように公的なものではない。登録商標といういたって私的な名称なのである。保有するのはJA夕張市。永沼誠一専務理事に「夕張メロン」誕生の話をうかがった。

狭い土地がメロンを生む

 夕張市は山間部で平地はわずか。戦後、政府の食料増産のかけ声のもと、全国各地で水田が拡大されたときにも夕張は時流に乗れなかった。土地が狭いうえに、火山灰地で水が逃げてしまう。コメ作りにはまったく向かない所だった。


夕張市のメロン城

メロンブランデーなどをつくっている

 その一方で 夕張は北海道を代表する産炭地として発展をとげる。農民は、夏は畑で野菜などをつくって炭住に売りに行く。冬は山に入って材木づくり。そんな生活だった。

 しかし間もなく、それでは済まなくなる。昭和30年代に入ると農業の機械化が始まり、耕作面積がどんどん拡大しだした。当時の夕張農民の平均面積は2.4f。道外の農家に比べれば大きいかもしれないが、北海道では最小レベルだ。このままでは農業が成り立たない。30歳から40歳の中堅組合員が農協に集い、話し合う日が続いた。

 そうして得た結論が「特産品をつくろう」。今でいえば一村一品運動である。長イモ、アスパラ、イチゴ、葉ものの野菜、そしてメロン。それぞれ部会を結成して、取り組みが始まった。どれか一つは当たるだろう、といった気持ちだったという。

 当時のメロンは超高級品。私も幼いころ桐箱に納められたメロンを見たことがある。やはり昭和30年代だった。

 高級メロンではなく、大衆メロンをつくってはどうだろうか。しかもプリンスメロンのようなものではなく、ネットの入った本格的なメロンを。

 当時、静岡県を中心につくられていた代表的なアールスというメロンの品種は寒い北海道ではなかなか育たなかった。しかし地元で育っているものにスパイシーカンタロープというメロンがある。ただしこれはラグビーボールのような形で、しかもカボチャみたいなヒダがある。もちろんネットは張っていない。糖度も低い。ただ肉質と香りが良いという特長があって、砂糖をつけて食べていた。

 この2品種を掛け合わせてできたのが、夕張キングという品種、すなわち夕張メロンである。形はまん丸とはいかないがネットが張っている。何よりも食味が抜群だった。糖度があり、舌触りなめらかで香りが良い。昭和35年のことである。

日持ちしない欠点が利点にも

 だがこのメロン、食味は抜群だが、果肉の色がそれまでのメロンの常識からまったく外れたオレンジ色。売れるかどうかさっぱり分からない。試作程度の年が続いた。

 しかし味の良さは口コミで広まっていった。そのうちマスコミが取り上げ、生産者も札幌などで街頭宣伝を行った。また札幌の市場関係者にも浸透していった。こうして夕張メロンの評価が確立したのが昭和50年前後。産声をあげてから15年ほどが過ぎていたころだった。

 このメロンには大きな弱点がある。日持ちしないことだ。収穫したあと3〜4日程度で熟れてしまい、さらに時間が経てば中身がどろどろになる。鮮魚なみの商品なのだ。
 そのため当初、商圏は車で1日程度くらいにしか広がらなかった。しかし航空便が普及すると情勢は一転、新千歳空港から全国に配送され、需要は一気に拡大した。

 こうなると日持ちしないという欠点が逆に利点にもなってくる。まず産地直送がウリになる。果物店でも夕張メロンが最優先で販売される。何しろ鮮魚並だ。ほかの果物をさしおいても夕張メロンを先に売りさばかなければならない。

 こうして人気はうなぎ登り。一時は物がなくて「幻の夕張メロン」とさえ呼ばれたほど。値段もつり上がり、超高級メロンと化した。大衆メロンを志向したメロンが高級メロンになってしまった。

夕張メロンを支える技術力

 現在JA夕張市のメロン農家は200戸弱。売り上げは昨年で32億円。JAの総販売額の9割以上を占める。
 それだけにメロンにかける意気込みは並大抵ではない。

「メロンがダメになっても、それに代わるものが何もないということが逆に強みになっている。危機感が栽培の技術力を高め、組合員の強い結束力にもなっている」

 と永沼専務。夕張キングはもともと異質なものを掛け合わせてつくっただけに、品質のばらつきが大きい。また長年同じ土地で栽培しているので連作障害も起きやすい。それをカバーしているのが生産者個々の高い技術力だ。JAの品質保持も徹底していて、糖度、外見など規格に合わないメロンは惜しげもなく果汁用に回している。

 それにもう一つの強さの秘密が独立独歩の気風だ。メロン生産が軌道に乗るまで、国の補助金など外部からの援助をほとんど受けてこなかった。夕張は炭坑がどんどん閉山したためメロン栽培が振興されたといったイメージを持たれることも多いが、事実は石炭とメロンは別物。夕張市も炭坑一辺倒で、農業振興など眼中にない時代が長かったという。こうした歴史が夕張メロンの強さになって現れている。


厳重な選果が高級ブランドを支えている

共和町は量で勝負

 後志管内共和町は夕張市に次ぐメロンの産地。町内にはメロンを生産する二つのJAがあるが、今年から銘柄が「らいでんメロン」に統一された。夕張メロンのような赤肉メロンと緑色の青肉メロンをつくっている。
 赤肉メロンはルピアレッドという品種で、最近この品種の作付けが道内で急増している。

「糖度が高く、日持ちは良いし、形、ネットの張りも良い。着果性、肥大性も安定している。欠点があるとすれば食べられない部分が少し大きいことかな」

 とJA発足(はったり)の高橋敏幸部長。夕張が個人の技術力で栽培の難しさを克服しているところを、つくりやすい品種でカバーしようというわけだ。そして夕張が人間の長年の経験で等級を分けているのに対して、去年から総額19億円という最新式選果場が稼働している。メロンに近赤外線のレーザー光を当て、戻ってきた波長から糖度を計算する装置と、形を分析する装置によって人手をまったくかけずに等級に分け、箱詰めする。各農家はメロンをバラで選果場に搬入すれば良く、つくりやすい品種とともに労力が大幅に軽減された。

 夕張メロンがプライスリーダーなら、らいでんメロンはそのちょっと下の価格帯をねらうが、価格差は量で埋めようという方向だ。

赤肉は2系統に大別

 メロンの作付けの全道的な傾向については道庁もホクレンもあまり把握していない。詳しいのは市場関係者だ。

 丸果札幌青果(札幌市中央卸売市場荷受)の葛(かつら)豊課長代理によれば、メロンは全道で2,000〜2,100fほどの作付けがあり、大まかにいえば夕張キングが300f。夕張キングと掛け合わせが同じで兄弟のようなサッポロキングが200f、やはり夕張キングと兄弟のようなI・Kメロンが同じく200fほど。このI・Kとは小林勇さんという故人のイニシャルでもともと夕張市にいた人だ。

 共和町で導入されているルピアレッドは800fほど。ほかにビューレッドという品種が百f前後、その他の赤肉系が100f前後ある。青肉系は400f前後。

 兄弟品種を含めた夕張キング系は栽培が難しいので、長い経験を持つ空知南部、胆振に残った。一方で昨年まで天候不順が続いたために、天候に左右されにくいルピアレッドの作付けが伸びてきたという事情もある。

 青肉メロンは、北海道は赤肉というイメージが消費者に定着していることや、一般的に玉が大きくならないこともあって、減少傾向にあるという。

 このように道内のメロン作付けは、より品質が安定するルピアレッドのような品種が量で夕張キング系を上回っている。しかし「うちでも品種改良に20年くらい前から取り組んでいて、外観上はいいものができるが、食味で夕張キングを上回るものは残念ながらまだ出ていないんです。将来できれば、変えるのですが」(JA夕張市 永沼専務)というような事情もある。

 ともあれ「まだまだ品種は変わっていくと思いますよ」(丸果札幌青果 葛課長代理)というように、品種競争は今後も続きそうだ。

 新しい品種をつくる育種の一翼を担っているのが滝川市にある道立花・野菜技術センター。ここではつい最近「空知交五号」という青肉の新しい品種を世に送り出し、一部で栽培も始まった。「手前味噌ではありますが、私は青肉の方がうまいと思っている」と担当の中住晴彦研究員。この青肉メロンが北海道のメロン地図に一石を投じることになるか。そんなところも今後興味深い。

(メモ 1〕
 北海道はメロン栽培に適している。日照時間が十分あるうえに夜は冷え込んで昼夜の寒暖の差が大きいことが大きな理由だ。日中に光合成によって糖分がつくられ、夜は呼吸することでそれを消費しているが、気温が低いと消費が抑えられ、その分多く糖分が貯蔵される。ビニールハウスやトンネル栽培で昼に温度を上げやすくなったことが、寒冷地という北海道のハンディを克服した。
  夕張キングを代表とする現在のメロンはほとんどがF1と呼ばれる一代雑種。たとえば夕張キングの種を植えても夕張キングができることはない。種子メーカーは様々な品種を送り出しており、農家はその種を買って植えている。JA夕張市だけは夕張キングの種子を独自に管理し、一切外に出していない。2年分の種子を耐火金庫に保管し、天変地異で夕張キングの採種が全滅しても復興できる体制をとっている。

〔メモ 2〕
 道内各地では様々な銘柄のメロンが栽培されている。
 胆振のJA追分の銘柄は「アサヒメロン」でサッポロキングが中心。隣の「ほべつメロン」はI・Kメロンで、種子を供給している小林農園が穂別町内にある。
 後志のJAようていはこれまで合併する前の各支所の銘柄で販売してきたが、今年箱が「ようてい」に統一された。ルピアレッドが主体で、静みどりという青肉の品種も栽培している。
 空知の「三笠メロン」はルピアレッドとI・Kメロンが主体。北村では「北の情熱メロン」という名でともに赤肉のエルシーとルピアレッドを主に大阪に送り出している。
 JA月形町ではルピアレッドを「北の女王」という名で、青肉のキングメルティーは「月形メロン」として主に札幌に出荷。「あしべつメロン」は赤と青が半々で品種は公表していないが主に大阪市場へ出している。
 深川市を中心とした北空知広域農協連の銘柄は「北斗メロン」でサッポロキングなど赤がほとんど。広域連に入っている北竜町では独自にクルーガーという青肉品種を「北竜メロン」として旭川市場を中心に出荷、同じ広域連内のJA雨竜町では天恵という青肉メロンを「署寒メロン」として道内に出している。


良いものを 各地から