北海道食材ものがたり5 ヤリイカ

道新TODAY 1998年5月号


ナンバーワンが多い町

 北海道の南西にのびる渡島半島、その半島のさらなる南西の端が松前町のある松前半島だ。この町には「北海道一」がなかなか多い。町内の白神岬は北海道最南端。桜前線が道内で1番先に上陸し、花見の名所という点でも静内町と並んでナンバー1。また松前藩があった北海道唯一の城下町である。そしてかくれたところではヤリイカの水揚げが道内一なのだ。

 この町の地形を地図で想像できるのは、冬の季節風が吹き荒れ、日本海の荒波が押し寄せること。また日本海を北上してきた暖流の対馬海流が北海道沖の日本海と津軽海峡に分かれる位置にあること。そのために海岸線はいつも波で洗われ、硬い岩石だけが残った岩だらけの海岸となるとなる。この岩場が、ヤリイカの繁殖には好都合らしい。

 松前町にある渡島西部地区水産技術普及指導所の中尾博己所長はヤリイカ調査のエキスパートとして知られ、論文も数多く発表している。中尾所長を訪ね、基本的なことをうかがった。

 まずヤリイカの漁場だが、松前町や隣の福島町沿岸を中心に、日本海は利尻・礼文あたりまで、津軽海峡は函館あたりまで広がっている。分布域はさらに広く噴火湾または知床半島まで達するが、漁業として成り立つほどではなく、とれるヤリイカも「ミズイカ」と呼んでいる未熟なものだ。

 全国的には東シナ海、山陰、能登半島から秋田沖にかけて、青森県全域など多くの漁場がある。

 1年で生涯を終えることは夏から秋にかけてとれるスルメイカ(マイカ)と同じ。ただしスルメイカは一年にも満たない一生の間に、日本列島の南から北まで大回遊するが、ヤリイカの場合はいたってローカルな存在で、あまり遠くには行かないらしい。

 松前町でとれるヤリイカは大きく分けて二つの群があると考えられている。11月〜1月にとれる冬の来遊群と2月〜5月にとれる春の来遊群で、〃冬群〃は青森県の群と行き来し、〃春群〃は独立しているらしい。そして松前町ではこの春群が漁獲の中心なのである。

成果あげた人工礁

 日本海の深みに生息していたヤリイカは産卵時期になると松前町沿岸に寄ってくる。水深5〜30bの岩場の穴などの岩肌に、卵がたくさん入った細長い袋を産み付ける。スルメイカは外海の海中に卵を生むとされており、その辺も大きなちがいだ。

 こうした習性を利用して、コンクリートでできた人工の産卵礁が1985年からどんどん投入されている。そのころ松前町のヤリイカ水揚げは従来の300〜100dから50d前後にまで落ち込み、不漁にあえいでいた。しかし投入を始めて数年後から息を吹き返し、300〜700dという高水準を維持するまでになった。

 ヤリイカの卵はシケで陸に打ち上げられることが多く、少なくても人工礁が良好な産卵場を増やしていることだけはまちがいない。この人工産卵礁の大部分は2.5b四方程度のコンクリート板を、間に30aほどのすき間をつくって2枚重ねたもので1996年までに松前町で約6,500基、全道では約35,000基もが投入されてた。

 産み付けられた卵は1〜2カ月後にふ化する。不味いのか卵を食べる魚はいないが、ふ化直後のヤリイカはねらわれやすく、ホッケなどは卵を産み付けられた穴の中でヤリイカがふ化するのをじっと待っているほどだという。

 ふ化し、難を逃れたヤリイカは一度海底に沈み、その後海中を泳ぎはじめ、日本海の深いところへと旅立つと考えられている。そして産卵時期になると冬群は冬に、春群は春に沿岸に帰ってきて、そこを今度は人間にねらわれるわけだ。

電光敷き網漁

 役場やお城がある松前町の中心街から江差方面へ向かって10`ほどのところに茂草漁港という小さな港がある。午後4時半、この港を第二十八勝宝丸(9d)が静かに出航した。堀川義人さん、雅人さん親子が乗り込んでいる。ヤリイカ漁の始まりだ。
 ヤリイカの漁法はさまざま。時期によってはスルメイカ同じく機械式のイカ釣り機でとられ、沿岸に仕掛けられた定置網によっても水揚げされる。しかし何といてもヤリイカに独特で、漁獲効率も高く、水揚げの主力となっているのが「電光敷き網」と呼んでいる棒受け網の一種である。

 船には約10bのFRP製の竿が両舷に2本ずつ計4本あり、甲板には網が積まれている。この網は広げると縦がおよそ30b、横が20bの長方形。堀川さんの説明によると、漁はアンカーで船を固定して行われる。4本の竿を昆虫の触角のように船の四すみから延ばし、その先に付けられたローラーにロープを通し、ロープの先には網の四すみを結びつける。

 ヤリイカを待っているときはこの網を船の下に水平にセット。網を布にたとえれば、風呂敷を広げて、その上の空中に船がいる、といった状態になる。

 魚群探知機(魚探)でヤリイカがこの網の上に来たことを確認したら、四すみに付けたロープを急いで巻き上げ、網を船底のところまで引き寄せる。次に船の片方の網をカギで引っかけてしぼり、ヤリイカをもう片方の網に追いつめ、多いときはタモ網で、少ないときはそのまま網を持ち上げて漁獲する。

 船は沿岸を走り、20分ほどで漁場に到着した。舘浜という漁村のすぐ沖合で、泳いでもたどり着けそうな距離だ。周囲にも船がたくさんいるが、なかなか操業は始まらない。 実はヤリイカ漁は場所の選定で好不漁がはっきりしていて、自分の船が大漁となってもすぐとなりの船がさっぱりということもしばしばだ。そのため船団内でその日によって場所選定の優先順位が変わり、順番にアンカーを入れていく。ただし舘浜の前浜は地元の舘浜船団に優先権があり、茂草船団は舘浜の船が場所を決めたあとで、アンカーを入れる。



 漁場に着き1時間ほどしてようやくFRP製の竿が船の四すみから突き出された。放電管の強力なライトにも灯がつき、ようやく漁が始まると思いきや、全然その気配がない。ヤリイカの姿がさっぱり見えず、たとえ見えても今は潮の流れが速くて網を設置できないという。

 ブリッジ内の二人は魚探とソナーの画面を眺め、背後に設置したテレビの番組で気分を紛らわしながら、ただただヤリイカと潮が遅くなるのを待つ。魚探は船の真下に音波を出しその反射音で魚影をとらえる。ソナーは船の斜め前方に音波を発射すところがただの魚探とちがうところだ。

 デジタル式の水温計は7.7・度を示している。水産指導所の中尾所長が言っていた「ヤリイカの来遊はだいたい8〜15度の間に収まる」という話を思い出した。

 勝宝丸はつい1週間ほど前に830箱という大漁をみた。1箱3`入りだから相場で計算すれば、300万円以上になる。しかしその後に来たシケで水温は下がり、ヤリイカは姿を消した。

イカ専業で年中が昼夜逆転生活

 夜半の12時。まだ網は入れられない。時間だけが過ぎていく。忍耐の漁業だ。

 堀川さんは冬から春にかけてがヤリイカ漁、夏から秋にかけてはスルメイカ漁をしているイカ漁専業者。1年を通して昼夜逆転の生活をしていることになるが、ヤリイカ漁の方が楽だという。というのは冬から春にかけてはシケで出漁できない日がたくさんあるから。やはり人間は完全に昼夜逆転の生活はできないらしく、昼間寝ても寝不足になってしまうそうだ。

 午前4時50分。竿を船に収容した。結局網は入れずじまいだった。無線交信がガーガーと入ってくる。
「イガ寝てんだもよ」

 イカも寝ていたが私も船室でぐっすり寝てしまった。起きて船の魚槽を見れば、10杯以上のヤリイカが泳いでいる。手釣りで釣り揚げたのだという。ただブリッジで待っていただけではなかったのだ。
 5時半、茂草漁港に帰ってきた。



 朝食はこのヤリイカ。朝食、といってもそのあと寝るのだから夕食のようなものだろうが、ヤリイカは毎日食べても飽きないそうだ。

 私も朝食をいただいた。私は細切りにした新鮮なスルメイカは、おろししょうがと醤油をかけ、それをかき混ぜて食べる。ところがその食べ方では甘みが出る反面、ネットリ感も出てくる。かたい方が好きな人は、普通の刺身と同じようにしょうが醤油につけて食べればよいと教わった。なるほどこっちの方が合っているようだ。

 煮付けもなかなか結構。スルメイカは煮ればかたくなってしまうが、ヤリイカは火を通してもかたくならないところが大きな特長。なるほどこれは軟らかい。

翌日は早々に切り上げ

 この日の夕方、是非とも電光敷き網漁を見てみたいと、再度乗船。漁場は同じ舘浜沖だ。ところがまたまたヤリイカの姿は見えない。そして午後8時半、茂草船団に全船帰港命令が出る。ほかの船もさっぱりで、引き揚げて休養しようということらしい。低気圧が接近し、次の日からは荒れることも予想されたので、あきらめることにした。残念無念。ただ勝宝丸の魚槽で泳いでいたヤリイカを、氷詰めの発泡スチロール箱に入れて全部もらってきてしまったのだが…。

 その後、松前町では松前さくら漁協主催のヤリイカ・フェスティバルが3月末に初めて開催された。同漁協では直販課を設置し、宅配便を利用しての産直に力を入れ、売り上げを急激に伸ばしている。ヤリイカも直販の対象だが、送る時期は漁協まかせ。浜値が1パイ200円程度に下がったころを見計らい、全国に発送する予定だ。                

〔メモ〕
 イカやタコの仲間は軟体動物の頭足綱に入り、ヤリイカはツツイカ目ジンドウイカ科、スルメイカはアカイカ科に属する。形の上ではヤリイカは「槍」の名のとおり、胴体が細くとがっている。
 足(腕)はスルメイカよりかなり短い。ひれ(耳と呼ばれる部分)はスルメイカでは菱形に開いているが、ヤリイカは縦に長い菱形で胴体の半分以上のところまでのびて付いている。全体的にヤリイカはスマート型、スルメイカはずんぐり型といえる。
 双方とも新鮮なうちに刺身にすればおいしい。ヤリイカは甘みがあって軟らかく、いうなれば上品な味わい。スルメイカは庶民的な味わいか。
 スルメイカには人間の胃に入って激痛をもたらすシュードテラノーバという寄生虫が付きやすく、毎年何人かの患者が出る。ヤリイカはとれる時期の関係か、この寄生虫で問題になったことはなく、安心して刺身が食べられる。


良いものを 各地から