北海道食材ものがたり 4 カキ

道新TODAY1998年4月




氷上のカキ漁

 地図上でみれば広大なオホーツク海のひ孫のようなサロマ湖だが、それでも琵琶湖、霞ヶ浦に次ぐ日本で3番目に大きな湖だ。そして常呂町、佐呂間町、湧別町の漁師たちがその恵みで生きている母なる湖でもある。

 2月の厳寒期になると、湖面は氷におおわれ、船による漁業はできないが、その代わりに活躍するのがスノーモービルとチェーンソーを使った氷下漁である。小さな定置網や刺し網を仕掛けてカレイ類、コマイ、チカ、キュウリウオなどを捕る。そしてもう一つが養殖カキの水揚げだ。

 だた最近は暖冬でなかなか湖面に氷が張らなくなった。流氷接岸の時期まで氷が張らなければ、2カ所あるオホーツク海との開口部から流氷がどっと湖内になだれ込み、ホタテ貝などの養殖施設を直撃する。そのため開口部に巨大な鋼鉄製の氷止めを順次設置している。

 今年は幸いにもシバレのきつい日が続き、湖面は真っ白な大雪原と化し、氷下漁が始まった。芭露(ばろう)川が注ぐ湧別町の芭露地区の漁師たちも、2月に入ってカキの水揚げを開始した。

 この地区では芭露かき出荷組合という組織をつくって、ゆうパックなどで全国にサロマ湖のカキを直販している。10年ほど前の11月に石本武男組合長に頼んで、船によるカキの水揚げを取材させていただいたことがあるが、今回は結氷期の水揚げである。

 さっそくとばかりスノーモービルの後ろに乗せてもらって出発。スノーモービルの荷台にチェーンソーを積み、強化プラスチック製の荷物用のソリを牽引している。
 空は快晴で、ただ立っているだけなら暖かいくらいだが、風が当たるとやはり冷たい。帽子に風邪用のマスクまでして覚悟していたものの、防護していない皮膚に突き刺さる風が痛い。ほんの3分程度の走行だったが、ふだん室内でぬくぬく暮らしている身にはかなりこたえる冷たさだった。


氷の下からカキを水揚げする石本さん

 漁そのものはいたって単純である。自分の養殖施設が入っている場所を、陸上の山や木など目印になるもので割り出す、いわゆる山だてで見当をつけ、チェーンソーを使って氷を切る。鉄製のやぐらを設置し、水中のロープを引き上げれば、そのロープに縄ノレンのように付いているカキが揚がってくるという具合だ。
 これらのカキはスノーモービルに引かれて、石本さんの自宅わきにある出荷作業場に直行、むき身や殻付きで出荷される。

 現在、北海道のカキ養殖のほとんどは宮城県から稚貝を買ってきて育てている。カキの稚貝はホタテ貝の貝殻に付着しており、春に購入した稚貝を海底にぶら下げておけば、夏に成長し、秋にはサロマ湖特産の1年貝となる。さらに1年置けば一回り大きな2年貝となるが、大きさや形はどれをとって同じものはない。そこがカキの特徴だが、出荷作業が面倒な要因でもある。1個ずつバラバラにするのが大変な作業だ。むき身にするのも手間がかかる。

 そのカキのむき身づくりに挑戦した。軍手をつけてカキを台の上に押さえ込み、専用の細いナイフを使って殻の端をちょっと壊し、そこからナイフを差し込んで膨らんでいる方の貝殻の底をえぐるようにして貝柱を切る。10分くらいやっていればだいぶ要領は飲み込めるが、中身を傷つけることもしばしばでまだまだ売り物にはならない。
 しかしこのカキを使ってその晩は究極のカキ料理を味わうことになる。

アッケシはカキづくし

 さて、北海道のカキといえば、サロマ湖と厚岸が二大産地だろう。全国的には広島県や宮城県の生産量には遠く及ばないものの、北海道のカキのおいしさには定評がある。

 欧米では語尾にRのつかない月(MARCH〜AUGUST=3〜8月)にはカキを食べるなという言い伝えがあり、これは高温期で腐敗しやすいためと、産卵期に当たるので栄養分が少なくおいしくないためとされている。

 稚貝を宮城県から購入しするのは低水温のために産卵がうまくいかないという事情があるためで、逆に言えば、それだけおいしい期間が長いということになる。北海道はカキの繁殖には不向きだが、食べる方には好都合なのだ。

 コンキリエという厚岸町が第三セクター方式で経営を始めたレストランなどが入った施設は、その名の由来がイタリア語でカキの形をした食べ物という意味なのだそうだ。アッケシという地名自体がアイヌ語で「アッケケシ」(カキのたくさんとれるところ)に由来するという説があるほど、厚岸とカキは切っても切れない関係だ。


コンキリエはイタリア語でカキの形をした食べ物の意味

 コンキリエ内にあるミニ水族館にカキの歴史を説明するパネルがあった。
 厚岸湖内には満潮で水面下に沈み、干潮で姿を現す島がたくさんある。これはカキ島と呼ばれており、古くからカキが生息していた。厚岸大橋から眺めると、鳥居と社の建つ島がある。その牡蠣島弁天神社は1781年以前に建立されたというからその歴史の古さがしのばれよう。またこうした事実からも厚岸ではもともとカキが生息し繁殖していたということが分かる。

 明治時代に入ると乾燥させたカキの生産が始まり、その際に出る煮汁でカキの醤油もつくられた。また酢漬け、佃煮、缶詰なども製造されたという。ところが捕りすぎで生産量は激減してしまう。大正初期には3年間禁漁し、その後も貝の大きさ、漁期の制限などが行われ、宮城県からカキの稚貝を輸送したり、サロマ湖で稚貝を採取するといった試みをしてみたものの、すべて失敗に終わっている。

 昭和10年にはまた宮城県から稚貝を大量購入し、輸送に成功してカキ島に撒かれ、資源が復活した。その後順調に推移し、昭和30年代には高水準の水揚げを見たものの、漁業者が多くなって40年代にはまたもや生産量が激減する。

 さらに昭和58年にはカキが大量に死んでしまうという〃事件〃が発生する。夏の低水温によってカキが産卵できず、そのストレスによって死んでしまったというのが原因のようだが、これをきっかけに厚岸のカキ養殖は大転換が図られる。カキ島での養殖ではなく、海にロープを張ってカキをぶら下げるサロマ湖のような養殖に切り替わり、カキ島にはアサリが撒かれて、大半が「アサリ島」と化したのだ。

 現在厚岸では厚岸湖内で1〜2年養殖したカキを1個ずつバラバラにしてカゴに入れ、今度は厚岸湾に設置された施設に移してさらに育てるという方法が主流になっている。

技術革新に積極的

 現在の生産量はサロマ湖にかなわない厚岸だが、カキに注ぐ情熱はどこにも負けないものがあると言って良いだろう。新たな試みを次々に打ち出しているが、その一つが去年から始まったカキの周年出荷である。それまでは8月に自主禁漁していた。

 厚岸とひとことで言っても厚岸湖あり、厚岸湾ありで、カキを養殖している場所は真水の入り具合、水温など環境は様々だ。そうした条件を組み合わせれば8月においしいカキを出荷することは十分可能。ただし衛生面では細心の注意を払い、厚岸漁協の市場内に紫外線で滅菌した海水が循環する水槽を設置、この水槽に一昼夜つけてから出荷している。

 もう一つの試みは養殖技術の改良で、漁業者や役場職員などが宮城県の研究所やオーストラリアに派遣し、技術の習得に当たった。オーストラリアではもともと日本からカキの稚貝を輸入して養殖していたが、戦争で輸入できなくなったために稚貝の採苗などの研究が始まったという。ホタテ貝の貝殻などカキの稚貝をつけるのではなく、パウダー状の細かい粒子に稚貝をつけ、そのまま一個一個の状態で養殖する技術が確立されている。

 ホタテ貝についたカキの稚貝は、そこから動かずに大きくなるので、幾重にも重なって育ち、形、大きさが不揃いとなる。またそれをばらす作業に苦労する。それを解消するのがこの方式だ。

 さらに様々な方法で、かつて生息していた厚岸固有のカキのような、厚岸の環境に適応した系統をつくり増やす試みも行われようとしている。町では専任の技術者を道職員からスカウトしたほどだ。

 消費拡大にも力が入る。2月の毎週木曜日には町民や近隣市町の人々を対象にカキのむき方、食べ方の「料理技術研究会」を開いた。講師はオーストラリアの技術研修に町職員とともに参加した若手漁師で厚岸漁協理事でもある中嶋均さんとコンキリエ料理長の川畑学さんが当たっている。


中嶋さんがむき方を実演

 まず中嶋さんがカキのむき方を実演、参加者に実際にむいてもらう。次に川畑さんが簡単な料理を提案するというった進行だ。訪ねた日には、生ガキの食べ方で、様々な味を試してみて参加者に感想を聞いていた。教えるというより共に研究していこうという催しだ。生食では和洋ともにレモンなど酸味がカキに合うとされているが、この日も人気はやはりライムなど酸味を使ったものだった。


生ガキにはやはり酸味が似合う
 話をサロマ湖の石本さん宅に戻そう。10年ほど前に訪ねたときに伝授されたのは、カキの酒蒸しだった。蒸し鍋に水ではなく日本酒を入れ、殻付きカキを詰められるだけ詰めて蒸すという豪快なもの。日本酒がまろやか味を出すらしく、いくらでも食べられる。殻から身をむく手間も省けるので、我が家でもカキの食べ方の定番になっている。

 最近石本さんはカキの食べ方に凝っているらしく、いろいろ試してみて現段階のイチオシが、カキのシャブシャブだという。箸でつまんでシャブシャブするのではなく、杓子ですくって入れ、ころあいを見計らって取り出す。それを刻み生姜、ネギを入れためんつゆで食べるのだ。

 これはいける。酒蒸し以上に食が進む。ボールに入っていたカキのむき身がどんどん胃袋に消えていく。
 30分ほどして我に返った。このカキは私が2時間もかけ、馴れない手つきでむいたカキではないのか。それがいとも簡単に消えていってしまった。

 この食べ方は贅沢すぎる!許せない!究極すぎる!
 そう叫びたい心境だった。    



〔メモ〕
 カキは牡蠣と書く。オス、メスの区別がつきにくく、オスだけだと考えられたために牡の名がついたという説もある。
 北海道でサロマ湖と厚岸が2大産地だが、道南の知内町が第3の産地で、津軽海峡で外海養殖されており、ほかにも産地がある。
 大半が宮城県で生産された稚貝を養殖しており、マガキという種類。従来サロマ湖や厚岸湖にはナガガキと呼ばれる北方系のカキが生息していたが、今はサロマ湖から消え、厚岸に一部残っているのみだ。
 カキは貝殻をピッタリ密閉できるため、海から出されても何日間も生きている。稚貝の生産地ではわざわざ貝を空中にさらしておいて、貝を鍛えるほどだ。 そのため長距離輸送が可能で、宮城県産のカキを使った養殖が北海道で古くから行われている。
 生食の伝統をつくってきたのも長期間の輸送に耐えられるためで、そこがホタテ貝などとの大きなちがいだ。 


良いものを 各地から