北海道食材ものがたり 3 ジャガイモ

道新TODAY1998年3月号

道産ジャガイモの半分はでんぷんに

 北海道を代表する農産物といえばジャガイモを挙げる人が多いのではないだろうか。実際、北海道の農産物ではビート(砂糖大根)に次ぐ生産量をあげており、その量は平成8年で233万トン。道民にまんべんなく配るとすれば赤ん坊からお年寄りまで1人あたり400`にもなる計算で、毎日毎日1`以上のジャガイモを食わなければならないという量なのである。

 全国的にも北海道は圧倒的。都府県すべて合わせても70万トン台に過ぎない。それでは北海道に次ぐ産地はといえば、意外や意外、九州地方である。長崎県が第2位の約10万トン、サツマイモが本場のはずの鹿児島県も5万トンほどで、関東の茨城県と3位を争っている。


ジャガイモは北海道を代表する農産物

 ただし都府県のジャガイモがほとんど野菜と同じようにスーパーや八百屋などに並ぶ青果用なのに対して北海道のジャガイモは半分がでんぷん材料。残りが青果に向けられたり、ポテトチップスやフライドポテト、コロッケなどの加工原料となる。でんぷんにしても、その用途は多彩で、カマボコなどの水産練り製品やラーメン、うどんなどに入れられ、ほかに紙や木、布の接着剤などにも大量に使われている。直接食べなくてもさまざまなところで役立っているわけだ。

 道内の畑作地帯のほとんどでジャガイモが生産されている。小麦、バレイショ、ビート、豆類を畑作四品と呼んでおり、連作障害を防ぐために何年も同じ畑で同じ作物を作らないようにしている。そのローテーションの中にバレイショ栽培がしっかり組み込まれているのだ。ちなみにバレイショとは馬鈴薯で馬に付ける鈴の意味。役所などはジャガイモよりバレイショという言葉を主に使っている。

メークインのビッグイベント

 さてジャガイモ王国北海道で、さらにその中の王国といえば十勝地方ということになろう。網走地方も生産量は十勝に肩を並べるほどだが、でんぷん原料が大半だ。その十勝のJA帯広大正農協を訪ねた。ここは青果用として人気の高いメークインの大産地として知られている。

 昨年このJAでは「帯広大正メークインまつり」を復活させた。平成4年の第20回の開催以降、中止されていたものが昨年復活した。

 実は私はこのまつりに参加したことがあるのである。しかも中止される直前の20回目のまつりだった。十勝らしい広大なイモ畑と収穫を終えた畑をつぶした広い駐車場。空にはアドバルーンが揚がり、駐車場には乗用車やトラックだけでなく大型観光バスもとまっていた。

 ただの収穫祭ではない。お金を払い、自分で畑からイモを掘って持ち帰るのである。1区画が2千円だが、その値段の2〜3倍は掘り取ることができるという実利的なイベントで、当然にも主催者側は赤字となる。

「もともと帯広大正のメークインを全国的に宣伝しようと始めた催しなんです。20回やってテレビの全国放送で取り上げられたり、宣伝という所期の目的は達成されたということで中止となりました。翌年、不作だったということもありますが。ところが市民や市などからも復活の要望が大きくて再開することになったんです」

 と同JAの坂本恊之参事。なにせこの催しは池田町のワイン祭りと並んで十勝を代表するビッグイベント。復活を望む声は大きかったに違いない。ただし前回同様に1,500区画を用意したが若干余してしまったという。復活が周知徹底しなかったことなどが原因と考えられているが、これにめげず、22回以降も続けていく意向だ。


機械による収穫風景

 同JAで生産されるジャガイモのほとんどがメークイン。このイモは煮くずれしにくいのが特徴だ。また低温貯蔵しておくと甘みと粘度を増す性質があり、冬から春にかけてが最もおいしくなる。同JAでは低温倉庫8棟でメークインを保管、4カ所の選果場で毎日150トンを選果・箱詰めし、7〜10台の大型トレーラーで全国のほとんどの卸売市場に送り出している。中でも関西方面で人気が高く、学校給食にも帯広大正のメークインが使われているほどだという。

 このメークインという品種で、その「発祥の地」として売り出しているJAが道南にある。桧山管内のJA厚沢部町だ。
 メークインは大正時代にイギリスからもたらされ、当時の厚沢部村には大正末期に入ってきた。そして村にあった道立檜山農事試験場がこの品種を試作したのが昭和9年だった。

 そのころにはメークインが農家で本格的につくられ始めており、北九州や京阪神方面に出荷、それらは上海や香港まで輸出されたという。そのうち厚沢部に求められだしたのは、食用イモではなく種イモだった。病気の付いていない高品質のイモづくりが求められた。

 戦時中は食糧統制で、食用イモが男爵薯に統一されたが、戦中も村で細々とメークインの栽培が続けられ、戦争が終わって統制が解けると、再度種イモ産地として復活した。その後帯広大正でもメークインがつくられだし、双方の農協職員が一緒に関西から九州の市場を回って売り込むこともしばしばだった。

 現在帯広大正は食用を主体にし、厚沢部は種イモの生産を主体にしており、JA厚沢部町ではメークインの生産の半分が種イモだという。

 ところでジャガイモは種イモで増えることは良く知られているが、その供給体制はどうなっているのだろうか。なにせジャガイモは1回栽培して増えるのは10倍、多くても20倍程度。コメが100倍以上になることを考えれば、その増殖過程には大きなちがいがある。

 まず原々種という種イモの元が農水省の種苗管理センター農場という、道内に4カ所ある農場でつくられている。原々種を配布されるのは主にホクレンで、ホクレンは農協などに栽培を委託、原々種が農家に渡ってつくられるのが原種だ。この原種をホクレンが再度農協に配布し、農家に渡って今度は採種というものがつくられる。

 この採種が最終的な種イモで、またホクレンや業者を通して売られていき、翌年栽培されるとようやく食用や加工原料のジャガイモとなる。気の長い話である。

 そこでジャガイモの増え方を考えてみる。イモは地下茎が養分を蓄えて膨らんだものだから、植物の一部を切り取って植えて同じ植物をつくっていることになる。すなわち今流行のクローンそのものなのだ。私たちはまったく同じ遺伝子を持つイモをみんなが、それも何代にもわたって食べている。

 帯広の隣の芽室町に農林水産省北海道農業試験場の畑作研究センターがあって、そこにばれいしょ育種研究室が入っている。公的にジャガイモの育種を研究しているのはここと道立根釧農業試験場(中標津町)、それに長崎県の農業試験場の3カ所だけだ。森元幸室長に聞いてみた。

「ジャガイモの原産地は南アメリカのアンデス山脈あたりで、もともとは高山植物だったんです。そこは気候の変動が大きいために、毎年種子をつけることができなかった。そこで地下茎が伸びて別のところから芽を出すという方法で増えていたんです。この野生種のジャガイモを持ち帰り、品種改良したのが今のジャガイモです」

 ジャガイモにも種子はつくのだろうか。
「ジャガイモもトマトなどと同じナス科の植物で、ミニトマトのような果実をつけます。ただ男爵薯とメークインは花をつけても花粉がほとんどでない。それで果実が実らないのですが、ほかの品種ではよく実が見られますよ」

 研究室で見せてもらった種子は白ゴマをさらに小さくしたような粒で、大きさはゴマの10分の1だそうだ。

 育種はジャガイモの花の雄しべをとって雌しべの先に付けるという、いたってシンプルな方法だ。ただしそれからが長い。できた種子の1粒1粒が個性を持っており、それを毎年順々に絞っていく。

 一つの組み合わせで種子を5千粒以上、全体では30万粒もの種子をとって、翌年1粒ずつ栽培、2年目には8千粒、3年目には2万粒と絞り込んで、早くて10年目に一つの品種ができあがる。これも気の遠くなるような仕事である。

 こうしてさまざまな品種が誕生している。人気の男爵薯やメークインは病気に弱く、薬剤による防除を数多くしなければならないことが欠点だが、病気に強くておいしいジャガイモが次々に生まれている。

 しかしジャガイモは原々種から採種まで病気や害虫に対して厳重な管理のもとに種イモを増やす必要があり、コストがかかる。農家は確実に売れる見込みがなければ種イモをつくれない。そのために新しい品種がなかなか普及しないという事情がある。

 昨年3月にジャガイモやサツマイモの研究者を中心に日本いも類研究会(梅村芳樹会長=前農水省北海道農試ばれいしょ研究室長)が発足した。その研究会がキタアカリ、とうや、ベニアカリといった新品種の試験栽培をする人を独自に募集しているのも、こうした特殊な種イモ供給体制があるためともいえる。

 さてジャガイモの大産地、十勝では昨年新しいジャガイモ関連の工場が操業を始めた。スナック菓子メーカーカルビーの子会社カルビーポテトの帯広工場である。最近売り出された「じゃがりこ」を製造し北海道と東北地方に出荷している。これが従来のポテトチップスとは違ったおいしさなのだ。この工場ではほかにジャガイモ関係の加工原料となる乾燥マッシュポテトも製造し、24時間操業の体制に入った。使われるのはほとんどトヨシロという品種で地元農家と契約栽培している。

 コンビニで買える新しいスナックが生まれも育ちも北海道というのは道民として気分が良い。そして「じゃがりこ」の誕生が、ジャガイモの持つまだまだ大きな可能性の一端をかいま見せてくれたように思えた。      


〔メモ〕
 ジャガイモは約400年前、インドネシアのジャカルタを拠点としていたオ ランダ人が長崎に持ち込んだ「ジャガタライモ」が語源とされ、サツマイモ同様 、飢饉時の救荒作物として広まった。
 現在ジャガイモの品種の中で一番親しまれているのが男爵薯。北米で発見さ れ日本には明治41年に現七飯町に農場を持っていた函館ドックの川田龍吉専務 によって導入された。川田氏が男爵の称号を持っていたので、この名がある。道内のジャガイモ作付けの27%を占め、全国的にも一番作付けされている。
 メークインの名前は、中世のイギリスで春の村祭り(メーデー)に村の娘の 中から選ばれた女王にちなんだもの。道内のジャガイモ作付けの12%を占めて いる。
 このほかに農水省北海道農試などで開発された新品種はたくさんあり、栽培 上や利用上の特徴などの情報は日本いも類研究会が作成しているインターネット のホームページが詳しい。
 これには品種の情報のほか、ジャガイモの歴史から現在の生産、需要、輸入 の詳しい動向、流通システムと価格動向、プロとアマの栽培技術、種イモの検疫 システムなどジャガイモについてのあらゆる情報が満載されている。
 また長年道立農業試験場でジャガイモの研究に携わった浅間和夫さんの60 題に及ぶポテトエッセイも楽しい。
   http://www.jrt.gr.jp/


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