北海道食材ものがたり23 クジラ
道新TODAY1999年11月号


夜の網走港

 9月9日午後8時、網走港の一角に200人以上の人々が詰めかけていた。裸電球がお祭りのようにぶら下げられ、夜のとばりが降りた港の中で、そこだけがポッカリ浮き上がっている。クジラを見ようと集まってきた人々だ。

 やがて第七勝丸(32d)の光が港の入口に現れた。この船は和歌山県太地町の捕鯨業者、磯根遙さんが昨年建造した新鋭の小型捕鯨船。網走市の下道水産(下道吉一社長)と共同運行している。

「ツチクジラはむずかしい。敏感で潜ったらなかなか出てこない」と下道社長。30分も潜っているという。

 この日は操業を始めて10日目。クジラを追う船もつらいだろうが、陸で待つ経営者もつらい。クジラの処理は陸揚げ後すぐに行われる。トラックなどをリースし続け、いつでも人が集まる体制を保つ。

 クジラは船の横にくくりつけて運ばれてきた。捕獲されたのは網走の北東約18カイリ(約33`)で午後3時ごろ。5時間かかったことになる。網走港には専用の鯨体処理場があり、岸壁には捕鯨の母船と同じようなスリップウエイが完備している。

 クジラの尾にロープを巻き付けウインチでスリップウエイを引っ張り上げるのだが、作業は難航気味。30分ほどかかってようやく板張りの処理場に引き上げた。

 水揚げされたのはおよそ10bのツチクジラ。イルカのような長いクチバシが特徴だ。名の由来を事前に調べたところでは、頭の形が農家でわらをたたいて柔らかくするときに使う槌に似ているため、とあったが、クチバシが槌の柄に当たると現場で聞いて納得した。

クジラの解剖

 9時過ぎになっていよいよクジラの解体だ。業界では解体ではなく解剖と言っている。なぎなたのような包丁を使い、30センチくらいの間隔でクジラの体に細長い切れ目を入れる。その一端にワイヤロープを引っかけ、ウインチで引っ張ると10センチほどの厚さでメリメリと皮がはがれ、中の脂肪や赤肉があらわとなる。

 はがされた皮は20センチほどに切り分けられブロックにされていく。それと同時に赤肉もどんどん切り落とされ、これはすぐに氷詰めにされている。頭の部分が分離され、心臓や腸などの内蔵も順次取り出されていく。その間おびただしい血が流れ、板張りの処理場を真っ赤に染めていく。

 そこを取り囲む人々はまさに老若男女。みんな一心に解剖作業を見守っている。私もクジラの解剖を見るのは初めてだが、クジラがかわいそうだ、といったたぐいの感情は湧いてこない。小さい子どもたちも大勢来ていたが、そうした反応もあまりなかったようだ。クジラの体があまりに大きいので、血を流していても現実感が乏しいのかもしれない。電球の下の作業で細部がよく見えないためかもしれない。いずれにしても不思議と悲しい感情が湧いてこない。

測定作業も平行

 解剖作業と平行して水産庁から派遣された調査員による測定作業が行われる。体長や胴の直径など各部の寸法を測定し、体の一部をサンプルとして採取する。こうした作業が日本沿岸でとれるクジラの一頭一頭で行われているという。今回とれたツチクジラは体長が10.5bだった。だいたい1b1dが目安だというので、重量は10d以上だ。

 皮をはがし、中の赤肉を切り取っていく作業は延々と続いたが、11時過ぎにはあらかた背骨を残すだけになった。12時過ぎには板張りの上はきれいさっぱり物が消えていた。そのころになってもまだ30人ほどが作業を見つめている。捕鯨の伝統を守り続けている網走の市民にしてもクジラの解剖は珍しく、興味をそそる出来事のようだ。

 現在日本が行っている捕鯨は小型のクジラであるイルカの漁を別にすれば、母船を使った南氷洋と北洋での調査捕鯨と沿岸の小型捕鯨がある。調査捕鯨ではミンククジラを南氷洋で400頭前後、北洋では100頭以下の枠でとっている。

捕鯨船の共同運行で生き延びる

 沿岸の小型捕鯨は国際捕鯨委員会(IWC)の管轄外のツチクジラとマゴンドウなどのゴンドウクジラ類を捕獲しており、網走は宮城県牡鹿町、千葉県和田町、和歌山県太地町と全国に四カ所ある基地の一つだ。

 網走には全国に8隻しかない小型捕鯨船の2隻があり、従来オホーツク海と道東太平洋沿岸で主にミンククジラをとっていた。ところが1982年(昭和57年)のIWC総会で商業捕鯨の中止が可決され、様々な経過を経て沿岸のミンククジラ漁も1987年を最後に禁止された。

 その後は南氷洋と北洋で母船式のミンククジラ漁が調査捕鯨として小規模ながら続行されているものの、沿岸は全面禁止されたまま。ツチクジラなどの資源にも限りがあるため、水産庁が捕獲枠を設定、船は8隻中5隻が稼働するのみ。下道水産は自社の捕鯨船、第一安丸を陸に揚げ、ほかとの共同運行で捕鯨を続けている。鯨肉が高騰したため何とか採算割れをまぬがれている状態だ。

道南では8頭捕獲

 今年9月、網走港ではもう一つの捕鯨会社、三好捕鯨と合わせてツチクジラ2頭が水揚げされた。そのほか5月には日本海のクジラ漁がおよそ30年ぶりに認められ、8頭のツチクジラが松前沖や奥尻島周辺で捕獲され、函館で解剖された。禁止が続いていた日本海のクジラ資源が増加傾向にあるためで、2週間で8頭のハイペース。資源の豊富さを印象づけた。

 網走にクジラが水揚げされた翌日、下道水産の加工場では朝から鯨肉の処理に追われていた。肉の筋などを除去し箱詰めしていく。大半はすぐに冷凍され、道内消費に回されるという。

 前夜は25人、この日は40人体制。いつ訪れるか分からない「いざクジラ」というときによくこれだけの人員を集められるものだ。下道水産が網走にクジラ水揚げを再開したのは昨年から。春と秋には和歌山県太地町、夏は千葉県和田町で操業する。その中に網走が割り込んだ。1頭だけのためにすべてを用意する。当然採算はむずかしい。

「千葉などでは専門の人がいるので手配などは任せきりですが、網走では人集めに苦労しています。普段からのいろいろなつき合いが大切だということも勉強させてもらいました」

 作業員には若者が多かった。学生もいる。捕鯨を次世代に伝えるため、あえて網走に水揚げしている、との印象だ。

切実なミンク漁復活

 日本政府は沿岸小型捕鯨の救済枠としてミンククジラ50頭の捕獲をIWCに提案しているが毎年否決されている。それでも10年前の賛成5、反対15、棄権8といった投票結果が、今年は賛成12、反対15、棄権7にまで盛り返してきた。

 水産庁遠洋水産研究所(静岡県清水市)の宮下富夫鯨類管理研究室長によれば夏のミンククジラはオホーツク海で約2万頭、北西太平洋で5千頭の合わせて約2万5千頭というのがIWCで認められている数字。見逃しもあり、この数字以上であることはまちがいないという。一方のツチクジラは太平洋沿岸で約5千頭という調査結果がある。

「ツチクジラを追っていてもミンク、シャチ、マッコウなどが目立っている。ミンク漁はぜひ復活させて欲しい」

 下道社長の言葉は切実だ。

クジラの本当の味

 取材の帰りにツチクジラの赤肉をいただいた。刺身で食べてくれという。家でも賞味し、若者が集まる居酒屋でも食べてもらった。色はどす黒くて不気味だが、口にすると評価は一転、100%絶賛の声。「親父に食べさせてあげたい」と悔やむ学生もいた。

 ミンククジラは色がきれいでさらにおいしいという。安価で保存がしっかりしたクジラ肉が豊富に出回れば食品としての地位は必ず復活するはずだ。そんな確信を得るのに十分な味だった。                   


〔メモ〕
 クジラ目に属する最大のものは体長35b、100dにもなるシロナガスクジラ。最小は2b程度で、一般に4b以下の小型種をイルカと呼んでいる。
 クジラは歯クジラとヒゲクジラに大別される。ヒゲは歯が退化してその代わりにできたもので、オキアミなどを櫛のようなヒゲでこして食べる。歯クジラは主に魚類を食べている。
 日本沿岸にいるクジラの代表格はヒゲクジラのミンククジラで9bくらいになる。毛皮のミンクとはまったく関係なく、昔ノルウェーでマインケ(minke)という砲手がシロナガスクジラがとれずに、いつも小型のこのクジラだけをとっていたため「マインケのクジラ」と呼ばれたのが語源。
 現在沿岸でとられているツチクジラは体長13bほどに、マゴンドウなどのゴンドウ類は6b前後になり、いずれも歯クジラ。イルカと呼ばれる種も全部歯クジラだ。  


良いものを 各地から