北海道食材ものがたり20  アスパラガス
道新TODAY1999年8月号


最盛期には190人態勢

 6月中旬、名寄市にある道北青果広域農協連合会(道北青果連)の選果場の各棟ではアスパラガスの選別、パック詰めの最盛期を迎えていた。女性たちがずらりと並び、作業を黙々とこなしているが、その人数がおびただしく、壮観な風景だ。

 ここにはグリーンアスパラでは全道一の収穫量を誇る名寄市をはじめ隣の風連町と下川町からも合わせて380戸、276f分が集まってくる。農家から集荷されたアスパラは人間の目で選別され、次に150cずつ発泡スチロールトレイにパック詰めされる。

 これらはすべて人海戦術だ。露地物のアスパラの集出荷は55日程度だが、その間、最高で190人ものパートさんが作業に当たる日もあるという。

「人集めが大変です。午後3時までとか、それぞれの都合に合わせた勤務時間で来てもらっています」

 と道北青果連業務課の佐藤安功次長。グリーンアスパラはビニールテープで上下を束ねた形で出荷されるのが一般的だが、それだけの機械がない。人海戦術で結束をしようとすれば、作業量は6割に落ちてしまうという。

 気温が上がるとアスパラがニョキニョキ成長し、ドーンと出荷される。農家は切り取ってコンテナ詰めするのが精一杯。選果場はその量に応じて人集めをして処理しなければならない。鮮度を第一とするアスパラの宿命で、魚なみの扱いだ。

人気は上昇、生産は下降

 道北青果連が昨年(1998年)扱ったアスパラの量は約700d。このうち関東方面を中心に道外には約400dが出荷された。これも道内産地ではダントツの数字だ。

 北海道のアスパラは甘味があり、市場評価は圧倒的に高く、高値をつける。ところが道産アスパラの生産は増えるどころか、減らしきたのが現実だ。1985年ごろまでは1万5千d前後を保っていたが、その後は下降を続け、1997年は約6千5百dになった。

 当初は単位面積当たりの収量(反収)が減ることによる減産だったが、反収が減るので作付けも減らすという悪循環に陥っている。アスパラは一度植えると同じ畑から10年以上は収穫できる。畑の更新が進んでいないのだ。

「むかしは10eあたりの収穫が400`を切れば、アスパラなんてやめる、と言っていましたが、今は平均250`です。価格が良いので続けられるのですが」と佐藤次長。それでも名寄市周辺はいい方で、10e平均100`台に落ち込んでいるところもある。

 道農政部の有村利治総括専門技術員によると、葉(疑葉)につく斑点病が10年ほど前から目立ってきたことや、土壌病害で欠株ができること、従来と異なる品種に変わってきたことなどがあげられるという。

 しかし農家によっては高い反収を続けているところもある。危機感を抱いた道では優良農家の徹底調査と独自の栽培試験によって、道産アスパラガス再生のための栽培マニュアルづくりを開始した。

夏に食べられて夏得(なっとく)

 農家独自の新しい試みも起こっている。美唄市の農家では立茎栽培という方法を道外から導入し、本格的な栽培が始まりつつある。

 1980年代に美唄市はアスパラでは「日本一」とまで言われ、全国の6百市場に荷を送るほどの黄金時代があった。ところがその後収量が激減し、面積も減らしてきた。そこで注目したのが九州の佐賀県で開発された立茎栽培という方法だ。

 アスパラ専業農家で美唄市グリーンアスパラガス生産組合の内山彰組合長は、1994年に北海道で最初に立茎栽培を導入した。

「むかしは10e平均5〜6百`はとれていたが今は200`程度。株を更新しても収量が上がらない。九州では4dもとれているところがあるんです。せめてその半分でもと、はじめました」

 普通の栽培では収穫したあと、翌年のために茎を伸ばす。ところが立茎では最初少し収穫しただけで、茎を伸ばしてしまう。そして伸びて小さな竹林のようになったあと、畑から出てくる若茎を竹林の中のタケノコのように収穫する。

 この方法の導入をバックアップした道の農業普及員の人が「こもれび栽培」と名づけた。さらにJAびばいでは商品名を公募し「夏得(なっとく)物語り」と命名した。本来はとれない夏にもアスパラが食べられて得をした、夏に収穫できることを納得したといった意味があるという。

収量もアップ

 この方法でとれるアスパラは「こもれび」だけに緑色が薄く、甘味も道産の旬のものには及ばないが、輸入品があふれ、年中アスパラが出回る時代にあっては、地元産の新鮮で安全なアスパラは貴重といえる。国産アスパラの生産は年間2万数千dとされているが、輸入量も全体で2万d以上にのぼっているのだ。

 美唄での立茎栽培の反収はハウスで2d、露地でも5〜6百`になる。生産組合の組合員は昨年に20戸以上が新たに加わって40戸以上になった。若い人を中心にハウス栽培を新たに開始したためだ。基幹のコメが価格の下落で危機的状況にあることも、動機となっている。

「ハウスでアスパラ栽培のおもしろさを分かってもらい、露地でもやってもらいたい。みんなで真剣に北海道のアスパラを考えていかないと」

 と内山組合長は新栽培法をテコに美唄アスパラ復興の夢を描いている。

ホワイトが足りない

 いまやアスパラガスといえばグリーンアスパラを指すが、かつてはホワイトアスパラが主流で、道内では1万dを生産していた。20社もの缶詰会社があって各地に工場を展開していたという。

 ところが現在はたったの400d程度に過ぎない。クレードル興農(本社・札幌)の三川工場(空知の由仁町)は道内生産の約半分を処理する最大手だ。グリーン同様にホワイトも減産の危機に直面している。

「単調な作業を2ヶ月間、毎日続けなければならない。収穫に必要なのはノミとガンガン(アスパラを入れる金属容器)くらいで、段ボール代も市場までの運賃も要らないので、収入は安定しているのですが、若い人はやりたがらないですね」

 と三川工場の大磯隆治工場長。ホワイトアスパラは培土という盛り土の中にノミを差し入れてアスパラを切り取る。頭部が日光に当たるとグリーンに変色し、2等品になってしまう。

 そこで朝日がまだ顔を出さないうちにとったり、日中には土がちょっと盛り上がったり、雨のあとでは裂け目ができるなど、アスパラが土から顔を出す直前の兆候を見つけてとらなくてはならない。一般には早朝と午後の2回収穫するというパターンを毎日くり返す。

 三川工場では喜茂別町など羊蹄山麓や遠くは桧山の厚沢部町などからもホワイトアスパラを調達している。契約農家には苗の提供をはじめ、苗を植えても収穫がない1、2年目には補助金を出すなどして原料確保につとめている。

 最近、生のホワイトアスパラを使った料理が新聞、雑誌などをにぎわしているが、ホワイトアスパラはほぼ100%が缶詰原料として栽培されている。それが生食用に流れることは、それだけサイズの良い上等なホワイトアスパラが工場に来なくなること意味する。

「1万dもあった時代には問題ないのですが」

 あの手この手で作付けを確保しているだけに、大磯工場長らクレードルの人々は最近のホワイトアスパラ料理には複雑な表情だ。


〔メモ〕
 道産のアスパラは糖度が高くておいしい。道農政部の有村利治総括専門技術員によると、その要因は夏から秋の気温にある。アスパラは地中の株から伸びた新しい茎を切り取って食べている。収穫が終わると茎は伸ばされ、小さな竹林のように繁茂させる。この時期に光合成が行われ、霜が降りて枯れるまで株に糖分が蓄えられる。
 翌年春に新しい茎が出るときに、株の糖分も一緒に出てくるために甘いアスパラとなる。ところがアスパラが次々に出てくると、株の糖分もそれだけ減ってしまい、遅く収穫したアスパラほど甘味が少ない。
 スイートコーンやジャガイモ、カボチャなど北海道の農産物がおいしいのは昼夜の寒暖の差が大きいため。昼に光合成してつくられた糖が、夜は冷えるので自己消費が少く、効率よく蓄えられる。アスパラも同じだ。ほかの農産物は秋にその味覚を味わえるが、アスパラは翌年の春になる。


良いものを 各地から