北海道食材ものがたり19 トマト
道新TODAY1999年7月号


親方の恋人!?

 日高の平取町はアイヌ民族の文化が根づく町だ。参議院議員、萱野茂さんを輩出し、二風谷アイヌ文化博物館など施設も数多く、訪れた人々は先住民族の文化に接することができる。

 そんな環境の町で近年急成長してきた農産物がある。「ニシパの恋人」というブランド名を持つトマトだ。「ニシパ」は親方だとか紳士だとか、立派な人物を表すアイヌ語。その「恋人」がトマトなのだ。

 5月中旬に訪れた平取町では田んぼに水が張られ、田植えの準備に忙しかった。この水田のところどころにビニールハウスの棟が並び、トマトが栽培されている。

「ここ4、5年で若い人々がどんどん帰ってきました。20代の人がたくさんいて4Hクラブの活動も活発になっているようです」

 今年からJA平取町のトマト・胡瓜部会長をつとめる大崎哲也さんはいう。4Hクラブとは農業技術の改良を中心に活動する地域の青年組織だが、近年は全国的に活動が低迷している。ところが平取町ではそれに参加する若者が増えている。

10年で10倍近くに

 大崎部会長自身もまだ37歳でJAの部会長としては異例の若さ。大学を卒業して農業を継いだ15年ほど前には周りに農業後継者がほとんどいなかったという。それが今のような活況を見せているのは、ひとえにトマトの増産による。

 その伸び方がすさまじい。販売額の推移をみると1988年(昭和63年)には2億1千万円だったものが、5年後の93年には7億3千万円になった。95年には10億円を突破し、祝賀会を開いたと思ったら、98年(昨年)には19億2千万円に達した。

 今年は154戸の農家が栽培し、21億円の計画を立てている。右肩上がりの経済成長、バブル景気を思わせる展開だ。

 この成長過程にはいくつかのステップがあった。本格的なトマトの栽培が始まったのは水田の減反が始まって間もない1972年(昭和47年)で、6戸からのスタートだった。翌年には21戸となり、生産量もそれなりに増やしたが、生産量には限界があった。

 なにせ農家が収穫から選別、箱詰めまですべてこなさなければならない。延べ2百坪程度のビニールハウスで、出荷の最盛期には家族4人がかりでも朝の4時から夜の10時までかかることがあったという。

 そこでJAでは選果場を建設、農家は選別、箱詰め作業から解放され、生産量を増やす下地がつくられる。このころトマト・胡瓜部会が結成され、栽培技術の向上がはかられた。

新品種採用と設備投資で拡大

 次のステップは品種の変更だ。それまでは「旭光」という品種をつくっていたが、これはまだ青みが残るうちに収穫して出荷しなければならない。畑で完熟させればおいしいが、それでは輸送と保存ができない。

 そこに登場したのが、タキイ種苗の「桃太郎」という品種。完熟系と呼ばれ、畑で完熟直前に収穫すると、その後鮮やかな赤色となり、長期保存にも耐えられる。トマト生産・流通に革命をもたらした品種で、平取でもいち早く導入し、1990年にはほとんどが桃太郎に切り替えられ、市場評価が高まった。また保存が効くことで市場は道内だけでなく道外にも広まっていく。

 92年には自動的にトマトの形や大きさを判断して選別するラインを備えた選果場を建設、95年にはトマトを冷やす予冷貯蔵施設ができて、集荷したトマトをすぐ冷やし、市場まで保冷しながら届けることができるようになった。96年と98年には選果場をさらに増設した。トマトの苗づくりをまとめてやるために九七年にはJAが育苗施設を建設、全体の7割を供給している。

 こうした矢継ぎ早に展開された施設の充実が、増産を支えてきたことになる。しかしいくら施設をつくったからといって、生産が伴わなければ仕方がない。農業の世界では野菜の大産地が現われては消え、現れては消えるという盛衰をくり返す例が数多い。同じ土地に同じ作物を連続して作ると土壌病の発生などで生産力が落ちてしまう。

馬ふんも一役

 ところが平取町では、そんな傾向が今のところ見られない。この大きな要因は肥料にあると考えられている。平取町は稲作地帯であると同時に馬産地でもある。

 また近隣の町も馬産地だらけだ。馬ふんは良質な有機肥料。牛ふんなどは敷きわらなどを混ぜて熟成させないと良質な堆肥にはなりにくいが、馬ふんはそれだけで堆肥となる。

「視察に来た人たちがびっくりするのは、接ぎ木をしていないこと。それに土壌消毒もしていないことです。ほかの産地では接ぎ木や消毒が当たり前のようですが、ここではやらなくても済んでいる。やはり堆肥の影響は大きいと思います」

 とJA平取町営農生産部の福居信樹部長はいう。接ぎ木は連作障害などを防ぐため、似たような植物を台木にして、その上にトマトを継ぐ。土壌消毒も一般的に行われているが、それが平取町では不必要なのだ。

「桃太郎の長男と次男だけをつくっている。作り方がむずかしいけれども、味が良い。味を落とすわけにはいかないので、同じようにおいしい品種が出てこない限りこれからもつくらざるを得ません」(福居部長)

「桃太郎」という品種が出たあと、「ハウス桃太郎」「桃太郎8」「桃太郎ヨーク」といった品種が続々登場した。そのうち平取では「桃太郎」と次の「ハウス桃太郎」のいわば長男と次男をつくっているが、これらは土壌病害に弱いという欠点がある。

 道内産地のほとんどが病気に強くてつくりやすい「桃太郎8」などに変わり、主産地では平取だけが頑固に「長男」「次男」にこだわっている。こうしたことが可能なのも、堆肥などトマト栽培に適した条件が整っているためでもある。

品質向上にトマトアドバイザー

 日高西部地区農業改良普及センターの前田和子主査に、平取町でのトマト増産の要因をまとめてもらった。

 まず気象条件がある。冬に雪が少なく日照が十分あるので苗を育てるのに好都合だった。これは雪深い地域ではまねのできない好条件だ。さらに夏場に涼しいこと、秋口に日照があることが、トマトの長期出荷を可能にした。現在は5月から11月まで切れ目なく出荷し、全体の7割近くを道外に送り出している。特に夏から秋にかけては暑さで道外ものの品質が落ちるため、評価は高い。

 それに長年栽培してきたにもかかわらず土壌病害が発生しなかったことが挙げられ、断定はできないが馬ふん堆肥の導入などの土づくりがその要因として考えられるという。しかし一番大きい要因として前田主査が挙げたのは人の問題だ。

「生産組織の力が一番大きかったと思います。生産農家が150戸にもなると普及センターでは対応できません。早くから部会が活動してきましたし、町の委嘱を受けて農家がトマトアドバイザーになり、ほかの農家の相談相手になるといった制度も発足し、3年1期で3期目に入りました。そうした積み重ねが今の状況をつくり出していると思います」

 JAでは個々の農家の等級別出荷実績などをまとめて公表し、優秀な農家は表彰される。あの手この手で品質の安定と向上に取り組んでいる。

「これまでは農薬の散布回数など、農家によって栽培の仕方がちがっていました。しかし消費者からはどんな肥料を入れてどんな薬を何回使ったかといった情報も求められる時代です。それに応えるためには、さらに農家がまとまらなくてはならない。平取に合った有機肥料の開発なども始まっています」

 と大崎部会長。ここまで伸びたトマト生産がさらなる発展をとげるのか、それともバブルがはじけたように衰退に向かうのか。行方は大崎部会長など若き後継者たちの活躍いかんにかかっている。

オオカミの桃とは?

 道内の農家がつくるトマトは生食用がほとんど。それに対してトマトジュース向けの加工用にしぼって栽培しているのが「オオカミの桃」で広く知られる旭川市の隣の鷹栖町だ。

 トマトジュースづくりの発端は、農家の人たちが公共の加工施設で自家用に栽培したトマトを使ってジュースを作ったことだったいう。それを知人や親戚に配ったところ大好評、農家グループが本格的にジュースづくりを始めたものの引き合いが多すぎて対応できなくなってしまった。

 そこで1986年に町と町内の二つのJAが出資し、(株)鷹栖町農業振興公社が設立され、工場生産されるようになった。広く知れ渡った要因には「オオカミの桃」というインパクトの強いネーミングによるところも大きい。町民から名前を募集したところ、なかなかピンとくるものがなかったという。

 そんなときに町の栄養士だった人が学名辞典でトマトを調べ、ラテン語でつけられたトマトの学名を訳すると「オオカミの桃」になることを発見、それが採用された。

在来種へのこだわり

 使われているのは桃太郎が出回る前に広く栽培されていた「マスター」という品種の改良型の「マスター2号」。マスターにこだわるのは適度な酸味があってジュースに向いているため。露地で栽培され、完熟したものを収穫し、その日のうちにジュースにしている。

 現在契約農家は93戸で栽培面積は全体で9f程度。完熟したトマトだけをもぎ取ってコンテナに詰め、庭先に出しておくと公社が集めに来る。

「収穫作業だけなので、高齢者にもできる。露地栽培で経費もそれほどかからない。稲刈りの前に終わるので、水稲との組み合わせもよい。10eあたり60〜70万円程度になり安定した収入源になっています」
 とJA北野の門木勉営農販売課長。公社では年間60万gのトマトジュースを製造、販売している。

 生食向けトマトで活況を見せる平取町、ジュースで安定生産を続ける鷹栖町。双方の方法は異なるが、成功の陰にには頑固なまでのこだわりがあったことはまちがいない。


〔メモ〕
 平取町のトマト生産は全道一だ。平成九年の統計では51f、5180dだった。2位は余市町で36f、2390d。平取町は2位以下に大きく水をあけている。
 全国的にはどうか。平成9年の全国の市町村別統計(農水省統計情報部)によれば作付け面積で平取町を上回る市町村は数多いものの、出荷量で上回るのは熊本県の八代市、愛知県豊橋市など六市町のみ。ところがどこも冬から春にかけて出荷される冬春トマトがほとんど。一方の平取町は夏秋トマトが100%なので、夏から秋にかけてのトマトでは平取町が全国一と断定して良さそうだ。
 JA平取町では隣の門別町の7戸分を含めて今年は7千dの取り扱いを計画している。この数字は平成9年の統計に当てはめると全国で4位に当たる。太陽光をいっぱい浴びて育つ南国イメージのトマトで、北海道の平取町がそこまで食い込んでいる。


良いものを 各地から