北海道食材ものがたり17 ニシン
道新TODAY1999年5月号


45年ぶりの「くき」

 3月中旬、留萌市南部の海岸で、45年ぶりにニシンの「くき」が見られ、大騒ぎとなった。「くき」には群来という漢字を当てるが「ぐんらい」と読むこともある。

『回遊性の鰊が沿岸に接岸してくる情景を、浜の人達は鰊がぐんらいするという。そしてぐんらいした鰊がひとたび適地を得て産卵を開始したとき初めて鰊がくきるという』『産卵は大体波静かな日暮れから夜明けまでまでに行われる。…大群が来遊して産卵した時は、近海一帯の海水が牛乳を流したように白くなる。…これが鰊のくきであり、海面が白くなることを俗にくき汁と称していた』(いずれも「鰊場物語」内田五郎著 北海道新聞社刊より)

 3月19日の道新朝刊によると、18日早朝、留萌市礼文町の浅瀬が長さ2`、幅500bにわたり、白いペンキがまかれたように染まったという。まさに「くき」そのものだったようだ。

復活プロジェクトが始動

 はたして「くき」の復活は本物か。それとも一時的なもので終わるのか。この「くき」の完全復活を夢見る研究が3年前から始まっている。

 稚内市の道立稚内水産試験場は昨年新築されたばかり。ひときわ目立つ斬新なデザインだ。この真新しい建物の一角で人工孵化で生まれたニシンが飼育されている。石狩、留萌などで捕獲されたニシンを親にする幼魚だけでなく、ロシアのサハリンから運ばれた卵から生まれた幼魚も元気に泳いでいる。

 道が開始した「日本海ニシン資源増大プロジェクト」の一環だ。平成8年から6年をかけてニシン復活のためのあらゆる研究を行う。この水試の新原義昭資源増殖部長がプロジェクトのまとめ役だ。

「水産資源の研究でこれだけ大がかりな体制を組むのは初めてです。ニシン資源の増大には産卵場の条件、資源管理、稚魚の放流効果などさまざまな研究テーマがある。六年で結果を出そうというプロジェクトです」

 ニシン漁が盛んなときには道立水試でもニシンの研究に携わる人が多かったという。ところがニシンが消え去るとともに、研究も途絶えてしまった。そこであらためて日本海のニシンを取り上げ、そのすべてを知ろうというわけだ。

 それでは日本海のニシンについてどれだけ分かっているのか?

春ニシンが消えローカルニシンが残った

 まず大まかに分けて2種類の系統があると考えられている。一つはかつて「春ニシン」と呼ばれ大量に漁獲された群。統計では明治30年の97万トンという数字が最高記録として残り、昭和初期まではおおむね40〜80万トンの漁獲量を維持していた。

 それが昭和10年以降になると水揚げが減少、多い年で30万トン、少ない年では10万トン以下になった。さらに昭和30年代に入ると激減し、33年の2400トンを最後に消え去ってしまった。

 ただしニシンが日本海から完全に消え去ったわけではない。細々ながら石狩管内の厚田や浜益、留萌周辺などで水揚げは続いていた。ほとんどとれない年も多かったが、100トン以上とれた年もあった。

 これはかつて大量水揚げされた群とは別な系統群だと考えられている。地域性ニシンと呼ばれ、移動範囲は狭く、自分が生まれた海岸に帰ってきて産卵する。この群の産卵時期はおおむね2〜3月。一方の春ニシンは4〜5月ごろという違いがある。

 また春ニシンが地球上から完全に消え去ったわけでもない。現在サハリン南部の西海岸で産卵している群が春ニシンと同じ群だと考えられている。それでこの群を北海道サハリン系と呼んでいる。

 絶大な勢力を誇り、道南日本海、さらには山形県あたりまで押し寄せていた北海道サハリン系ニシンは、何らかの環境変化によって、その勢力が南からどんどん弱まり、産卵場所が北側に縮小、今ではサハリン沿岸に残すだけとなってしまった。そしてこじんまりした性質を持つ地域性ニシンが残された…。

まず稚魚の放流

 なぜ春ニシンは日本から消えてしまったのか?

「とり過ぎたため」「山の木を切ったため」などさまざまな説が唱えられているが、有力なのは自然環境変化説。というのも時を同じくして北海道沿岸だけでなく、対岸の大陸沿岸でも同様な現象が起こっていたからだ。ニシンが消えたのは北海道だけではなかった。

「水温など何らかの海洋条件の変化で資源が悪化したところへ漁獲強度が強まったので消えてしまった」

 と新原部長は思っている。自然の変化で激減したニシンに人間が追い打ちをかけて絶やしてしまったことになる。

 このプロジェクトの一分野が稚魚の生産・放流技術の開発。羽幌町にある北海道栽培漁業振興公社羽幌事業所で、地域性ニシンの稚魚を百万尾つくり、石狩、留萌、稚内で放流する。ただし秋サケのように漁獲のほとんどを人工孵化のニシンでまかなおうという発想ではない。

「7aサイズまで育てたニシンを百万尾を放流し、その5%の5万尾を漁獲して、1尾平均200グラムとすれば10トン。百トン漁獲するには1千万尾をつくらなくてはならない。放流だけで資源をつくるのは大変なことです」

 と同事業所専門技術員の加畑裕康さん。秋サケは重さが3キロ前後になって帰ってくるが、ニシンはその10分の1以下。サケのような増殖形態は事実上無理だと言える。

産卵場の研究も

 そのためにも自然産卵による増大が必要で、このプロジェクトでも産卵場の研究が大きな柱にすえられている。

 ニシンは浅瀬の海藻に卵を産み付けるが、コンブよりもスガモ、ホンダワラ類といった、いうなれば海の雑草に好んで産み付けることが分かっている。ニシンにとってこうした海藻は必要不可欠なのだ。

 そこで地域性ニシンが実際に産卵した海藻を調べたり、航空写真を撮って海藻の分布を調べる研究が始まった。ニシンが産卵する条件を解明できれば、ニシンが好む海藻を栽培するなど、人工的に好条件をつくり出すことも可能だ。

 プロジェクトでは、ほかにニシン資源を守りながら漁獲する方法の研究、さらには爆発的な繁殖能力を持つ北海道サハリン系ニシンの基礎的な研究も加えられている。サハリンから卵をもらい受け、道南の鹿部町にある道立栽培漁業総合センターを中心に飼育試験などが行われている。プロジェクト研究の結果は2年後の平成13年にまとめられる予定だ。

厚岸で放流効果

 こうして進められている日本海でのニシン増大作戦だが、じつは道東では10年以上も前から同様の研究が進められており、成果も着実にあげている。日本海はそのあと追いをしているともいえる。

 厚岸町にある日本栽培漁業協会厚岸事業場では開設された昭和56年当初からニシンの種苗生産と放流技術の開発に取り組んできた。道東にも厚岸湖と風蓮湖で産卵する地域性ニシンがいる。前出の加畑さんは、事業場の責任者だった人だ。厚岸で培われた技術が日本海に持ち込まれた。

風蓮湖ではふ化場民営

 孵化したあとの稚魚は水槽で飼育されたあとに海に運ばれ、2週間程度いけすの中で飼育して7a以上にしてから放流する。海に馴らさずに放すと輸送時のストレスや環境の急変でパニックとなり、生き残り率が低くなるおそれがあるという。

 ただ日栽協厚岸事業場はサケ・マス孵化場のような漁業生産のための放流が最終目標ではない。「私たちの目標はあくまで稚魚の生産、放流技術などを開発し、それを民間に伝えることです」と同事業場技術員の鈴木重則さん。そこで風蓮湖に今年、ニシンの孵化放流のための施設が建設されることになった。

 別海町が主体になり、総事業費7億円の半分が国、4分の1ずつを道と別海町が負担するが、施設の運営は漁業者の組織が担当し、公的補助は一切ない見込み。かかる費用は全部別海漁協の組合員を中心とした漁業者がまかなう。

 漁業者組織の事務局を担当する別海漁協の小笠原豊さんは「回収率はこれまで10%前後。帰ってきたニシンは親になって卵を生むので、再生産につながる。年変動が大きい資源の底支えをするためにも、人工孵化・放流は必要です」という。

 別海漁協のニシンの水揚げは去年は86トン、7千万円と振るわなかったが、前年までは百トン単位の水揚げで、金額も1億円以上、2億円近い年もあった。百万尾を放流するコストは3千万円程度といわれ、水揚げ金額からしても採算性はあるといえる。

 また漁業者の資源管理に対する意識もしっかり根付いてきた。良好な産卵場では漁獲しない、網目を大きくして大型のニシンだけをとる、稚魚がたくさん入る場所では定置網などを設置しないなど。ニシンは鱗がはげやすく、網などで漁獲されると海に放しても生き残る確率は低い。そんなニシンの性質に配慮した保護策だ。

 ニシンが産卵する条件についても解明され始めた。風蓮湖ではアマモという海藻にニシンが産卵する。ところがアマモが繁茂しているからといって卵がたくさん産み付けられているとは限らない。

 潮通しや塩分など微妙な条件がニシンの産卵に関係しているらしい。泥がついたアマモにはほとんど産卵しないことも分かっており、環境状態がニシン資源の動向に大きく関与している。

春ニシンの復活は海洋環境しだいか!?

 こうした調査・研究の積み重ねで地域性ニシンの資源増大は夢ではなくなった。それでは春ニシンはどうなのだろうか?

 道立水試でのニシンの研究が途絶えたあとも独自に研究を続け、系統の分類などで大きな成果を残している人がいる。釧路市にある水産庁北海道水産研究所の亜寒帯漁業資源部長である小林時正さんだ。

「春ニシンは特殊な系統なんです。なぜあれだけ増え、あれだけ減ってしまったのか分からない。1983年生まれの春ニシンが北海道沿岸に来遊して話題になったことがありましたが、大西洋でも同じ年にニシンが大発生したところがあり、この年は魚類全般で発生が良かった。何らかの海洋変化がもたらした結果と考えられ、生物学者よりむしろ海洋学者が解明するかもしれません」

 地域性ニシンとは逆に春ニシンの謎は深まるばかりだ。


〔メモ〕
 ニシンはニシン目ニシン科の魚で、同じ科にマイワシなども入っている。太平洋のニシンは海藻などに卵を産み付けるが、大西洋のニシンは卵の粘着性が弱く、海底の石などに産み付ける。同じ種かどうかは意見が分かれるところ。
 太平洋のニシンは産卵場の環境条件や移動、回遊の大きさのちがいから、「湖沼性地域型」「海洋性地域型」「海洋性広域型」「中間型」の4つに分けられる。日本に残るニシンの産卵場は厚田周辺、留萌周辺のほか、稚内市周辺、風蓮湖、厚岸湖、サロマ湖、能取湖、十勝の湧洞沼、青森県の尾駮(おぶち)沼、宮城県の万石浦など。厚田周辺などは「海洋性地域型」、風蓮湖などは「湖沼性地域型」に分類できる。
 国内の漁獲は少ないが、数の子などの原料として太平洋から年間3〜4万d台、大西洋から2〜3万d台のニシンまたは卵が輸入され、金額は百数十億円に上っている。


良いものを 各地から