北海道食材ものがたり16 スケソウダラ
道新TODAY1999年4月号


知床の冬

 2月中旬、知床半島の羅臼町沿岸には今年も流氷が押し寄せていた。ロシアと中国の国境を流れる大河、アムール川(黒竜江)が間宮海峡に注ぎ込む大量の真水が流氷の源だとされている。

 海水は簡単には凍らないが、真水はすぐに凍りつく。川で、あるいは川水が流れ出た海の表層で氷が生まれ、オホーツク海に拡散し、北海道のオホーツク沿岸を埋め尽くし、さらに南下して根室海峡に流れ込む。

 訪れた日には大小さまざまな白い固まりが海に漂い、まばゆく光っていた。この時期流氷の海で最盛期を迎えるのがスケソウダラの刺し網漁だ。百隻以上の船が出漁するが、この日は氷がじゃまして港から船が出て行けない、または漁場に氷が居座って水揚げができないといった理由で大半の船が休漁。無理を承知で数隻が出漁しただけだった。穏やかな天気でもあり、港はいたってのんびりムードである。

北洋の減少で羅臼に活気

 かつてのスケソウ漁はカムチャッカ半島沖やベーリング海といった北洋での漁獲が中心だった。1960年代に日本の近海から北洋に転出した底引き網漁船は「北転船」と呼ばれ、サケ・マス漁に並ぶ花形漁業。

 時を同じくしてスケソウの冷凍すり身技術が北大で開発され、かまぼこや魚肉ソーセージの原料として需要を伸ばし、それに応えて漁獲も増大、1974年には全道のスケソウの総水揚げが119万dに達するが、北転船の漁獲はそのうちの9割近くを占めた。

 北海道に水揚げされる魚で年間百万dを超えたのは、明治時代のニシン、1980年代のマイワシとこのスケソウダラの3種しかない。しかしニシンとマイワシが北海道近海でとれたのに対し、スケソウは遠い北洋に依存していた。やがて二百海里時代に突入、1980年ごろから漁場と割当量がどんどん減らされ、漁獲量は急減することとなった。

 ところがそのころから羅臼のスケソウ漁が絶好調を迎える。漁に出ればいつも満船状態。ちょっとした流氷など蹴散らしてしまう分厚い鋼板を使った新造船がどんどん誕生した。出稼ぎ漁業者が集められ、魚の仲買・加工業者はもちろん、漁具会社、エンジンメーカーといった漁業関連業者も狭い町に群がった。スケソウを運ぶ大型トラックが細い道路を行き交い、マスコミが「スケソウ御殿」と呼んだ立派な家がどんどん新築された…。

11万トンから1万トン台へ急減

 1981年からの統計を見てみると81年には5万9千dだったスケソウの水揚げが5年後の86年には7万4千d、そして1990年には11万dというピークを迎える。

 金額は150億円で、ほかの魚を合わせた羅臼漁協のこの年の総水揚げは239億円。道内では釧路市漁協、根室漁協に次ぐ第3位ではあるが、上位2漁協ともに組合員以外の「外来船」の水揚げが多いので、実質的には羅臼が道内でナンバーワンだったと言えよう。

 しかし繁栄はそこまで。峠の向こうには急坂が待ちかまえていた。91年以降の年ごとの水揚げは7万d、3万4千d、2万5千d、1万9千d、1万6千d、1万5千d。坂を転げ落ちたというより崖下に転落したと言った方がいいのかもしれない。97年には若干持ち直して1万8千d、しかし98年には1万4千dと再び減った。10万dを超えたことが信じられない。

 この凋落の要因は2つあると見られている。1つは羅臼の漁業者によるスケソウのとり過ぎ。道立釧路水産試験場では、羅臼沖の海水を採取しスケソウが生んだ卵の密度も調査していた。

 ここは日本で一番といわれるほどの産卵場になっていて、その調査も行っていたわけだが、水揚げがピークを迎える2年前の1988年には卵の密度が前年の半分以下という結果が出た。スケソウはほぼ4年で成魚となって5年魚以降が漁獲サイズになる。

 これでは将来が危ないと漁協が本格的な対策を考え始めたころに現れたのが、ロシアの大型トロール船団であった。

漁船3千隻が攻め込んできた!?

「88年の12月に初めて姿を見せました。3千d級のトロール漁船で、昼夜網を引いている。スケソウの頭などが刺し網にかかるので、船内で加工処理して、不要なものは海に捨てているらしい。ピーク時には毎日20隻以上も操業していました。漁が薄くなると消えて、魚が見えると現れるという繰り返しです」

 と羅臼漁協の鹿又重雄専務は言う。羅臼の漁船が流氷の海で操業するためにいくら頑丈な船を造ったといっても大きさはぜいぜい10〜20d。かたやロシア船は3千d。たった1隻で羅臼の全漁船と同程度かそれ以上に相当する船が攻め込んできたことになる。これが20隻だと20dの船が3千隻というとんでもない勘定だ。

 この結果の激減だった。漁協では船を50隻減らし、禁漁区域を定めるなど資源保護に乗りだしてはいるが、魚が見えれば大型底引き船が現れるという状態は今も変わっていない。

 明るい材料はロシアとの協定で20隻が中間ラインの向こうで操業できる、いわゆる「安全操業」が今シーズンから始まったことだ。それによって底引き船を締め出すまでには至らないが、刺し網を設置することで、底引き船の操業を牽制することはできる。この安全操業が始まって、早々と網を引っかけられ、被害を出してしまったが、これも将来に向けたステップだとすれば意義は深い。

 さて、こうして羅臼のスケソウ漁は低迷状態にあるが、果たしてスケソウ資源は復活させることができるのだろうか。この問題は何も羅臼に限ったことではない。北海道周辺のスケソウ漁業の歴史は、刺し網などの沿岸漁業と沖合の底引き網漁業との抗争の歴史そのものだった。

 特に二百海里時代に入ってからは同じくロシア海域から追われた韓国トロール漁船が北海道周辺に集まり、資源の争奪戦を繰り広げてきた。こうして荒らされてきた資源を復活させることができるのか。

資源把握に科学の目

 復活にはどれだけの量をとればいいかをまず決めなくてはならない。そのために必要なのが正確な資源評価だ。ところが従来の手法でその時々の正確な資源量を推定することは不可能だった。

 羅臼沖で行われていた卵の調査は目安になる程度。もっとも正確なのは漁獲量から推定する方法だが、資源を全部とってしまって初めて正確な数字が出てくるという仕組みでもある。これでは漁獲量を決める材料にはなり得ない。それにこの方法では膨大な労力が伴ってくる。

 そこで最近世界で急速に活用されだしたのが「計量魚探」または「科学魚探」と呼ばれる計器だ。船を走らせるだけでその下にいる魚の種類、大きさ、数量を割り出してくれる。日本製もあるが、ノルウェーのシムラッド社が開発した装置と解析ソフトが性能、信頼性ともに群を抜き、世界標準にまでなっているという。

 道内では唯一、道立稚内水産試験場の北洋丸に装備されたのみ。ほかの水試や北大の船にも一応計量魚探は搭載されているが、シムラッド社製ではない。この北洋丸を使って北大と道立の三水試が合同で日本海のスケソウ資源を調査し、大きな成果をあげた。

「スケトウダラについてはほぼ実用化されたと言って良い。漁獲可能量を決めて漁業をする時代になると、資源を全部とって初めて正確な資源量を推定できる従来の調査方法は不可能なので、計量魚探に頼らざるを得ません。これからスケトウ以外にもどんどん活用されるでしょう。データを解析することで、スケソウだけでない他の魚種の資源量を出すことも可能です」

 と北大水産学部の飯田浩二教授。海の中が船の上から見え始めた、と言えようか。資源量がはっきりすると、その対策もはっきり打ち出すことができる。資源管理型漁業が叫ばれて久しいが、スケソウダラなどの多獲性魚類にもようやく展望が開けてきた。

加工用だけでなく鮮魚送りも

 羅臼を訪れた日、出漁した船は羅臼港に戻れず、車で十分ほど離れた小さな漁港に入って水揚げした。刺し網の目の大きさがそろっているので、それだけ漁獲されるスケソウの型もそろうことが羅臼産スケソウの特徴だ。

 道漁連羅臼市場事務所の馬場秀幸所長によると、漁獲されたスケソウの卵(スケコ)は道内で一次加工されたあと、大半はからし明太子の原料として九州などに送られている。

 羅臼産は卵の型が大きく高級品。もっともスケコの供給量は国内産が5千dしかないのに対し、輸入量は10倍の5〜6万d。鮮度や加工で勝る国内物はすべて高級品だという。オスの精巣、すなわちタチは鍋などの材料として流通するようになった。

 卵やタチをとったあとに残る身は大半がすり身原料となるが、鮮度の良いオスを氷詰めして送り出す量も少なくはない。羅臼で水産加工業を営む岡本清さんは富山県の出身だ。

「鍋というより、みそ汁に入れていた。魚が入ったみそ汁は欠かせない。日本海が時化て水揚げができない時には、値段が上がっておもしろみはあるが、量そのものがわずかだからね」

 送るのは新潟、富山、群馬、長野など。後日、釧路市の卸売市場をのぞいたら、羅臼産のスケソウが入荷していたから、道内でもマダラの代用として少しずつ流通し始めているようだ。

斜里町で棒干しに

 もう1つ羅臼のスケソウの身が欠かせない加工品が棒干し。棒ダラとは普通マダラを3枚におろして干したものだが、この棒干しは頭と内蔵をとった身を寒風にさらして干しあげる。知床半島の反対側、斜里町はこの棒干しの大産地だ。

「スルメをつくっていたのですが、イカがとれなくなって設備が空いてしまった。それで始めたのがスケソウの棒干しだったんです」

 とマルヒ水産の日下末雄代表取締役。本格的な製造を始めて30年以上になる。干場は1万5千坪もあるそうだ。夜に凍結して昼に解凍といった行程を50日以上経るとできあがり。

 ただ鮮魚が豊富に出回る北海道では人気が薄く、出荷先は青森を主体に富山、山形、秋田など。甘辛く煮て食べるが、山形県内陸地方出身の私としては懐かしい味。道内ではほとんど手に入らないことが残念ではある。


〔メモ〕
 学問的な名前(和名)はスケトウダラ(介党鱈)だが、北海道ではスケソウダラ(介宗鱈)が一般的。世界的には日本海からアメリカ西海岸までの北太平洋が漁場で、近年は500〜700万dの水揚げがある。日本漁船が北洋漁場を追われ、国内の水揚げ量を減らしても、北太平洋自体の水揚げはそれほど大きな変化はない。日本の主な漁場は北海道周辺で、南限は日本海では山口県、太平洋では宮城県あたり。
 マダラとの大きなちがいは口の向き。マダラは上あごの方が出ていて、海底にいる餌を食べるのに対して、スケソウダラは下あごの方が出ていて水中のプランクトンや小魚を捕食する。また産卵すると、マダラの卵は底に沈むがスケソウダラの卵は浮上してバラバラになる。そんな生態のちがいから、マダラ資源は底引き網漁業によって壊滅的打撃を受けたが、スケソウダラは比較的打撃が少なかったとされている。


良いものを 各地から