北海道食材ものがたり10
大根
道新TODAY 1998年10月号

   大産地 北海道
 主役をつとめることは少ないが、刺身や焼き魚の添え物、おでん、そして漬物と、これがなくては話にならないという食材が大根だ。
 それだけ需要も安定しているわけだが、道外にある古くからの産地では作付けが減少傾向にある。そしてその減少分をカバーする形で生産量を伸ばしてきたのが北海道。特に7〜9月の夏場には東京の市場で5割、大阪で6割を道産大根が占めるほど。いまや大根は北海道抜きには語れない。
 重量野菜という言葉がある。大根をはじめ白菜やキャベツ、カボチャなど、大きくて重い野菜のことをいう。この重量野菜が道外では近年つくりにくくなっている。というのも農業者の高齢化が進み、取り入れに体力が必要な重い野菜が敬遠され、トマトやキュウリ、ピーマンといった軽い野菜に移行したからだ。その点で北海道は農業専業者が多く後継者にも比較的恵まれていた。そんな事情が大根の生産を盛んにした。

大根の収穫は涼しい早朝に済ませる

   体力勝負の早朝作業
 十勝の豊頃町は北海道を代表する産地だ。
 収穫作業は朝早い。夜が明けると同時に畑に繰り出す。なにしろ重量野菜は体力が勝負。特に夏場は気温がまだ上がらないうちに済ませておきたい。8月中旬のある早朝、町内で畑作を営む堀田和夫さん家族4人も午前4時半から出荷作業に汗を流していた。
 3本の畝から次々に育った大根を抜いていく。十勝らしい広大な畑だ。この畝3本だけで1反(10e=約300坪)もあるというから途方もない。
 大根は葉を持って引っ張るとスルリと抜ける。頭が地上に顔を出した、いわゆる青首大根だ。抜いた大根はていねいに1列に並べていく。これは葉を切り落とすために欠かせない。並んだ大根の葉を10センチ程度残して包丁で一気に切り落としていくのだ。
 それと同時に運搬作業が始まる。トラクターにコンテナを取り付け、そこに大根を抱えて運び込む。トラクターは時おり動かして、人力で運ぶ距離をなるべく短くする。コンテナが一杯になったら別のコンテナを持ってくる。収穫作業は1時間ほどで終わった。
 この日、堀田さんは5e分を収穫した。

   JA豊頃町の「十勝だいこん」
 出荷日や量はJA豊頃町全体であらかじめ決められている。個人が勝手気ままに大根をつくり売っているわけではない。
 こうした大根が全部集まってくるのがJA豊頃町の選果場だ。国道38号沿いに、その選果施設があった。
 大根はまず水を張ったプールに入れられ、泥が落とされる。さらにひげが取り除かれると真っ白な肌をした大根となる。次に人の手によって選別されて箱詰めされる。ラインから出てきた箱詰め大根はアーム型ロボットによって規則正しく積み上げられ、フォークリフトで予冷庫に納められる。

1日110トン、11,000箱を処理する選果場

    4ヶ月間の連続生産
 「十勝だいこん」という名が箱に印刷されている。「豊頃だいこん」ではない。この町の1施設から送り出される大根が十勝の代表を名乗っている。こうした大根の一連の流れを見ていると、農家は単に原料をつくっているにすぎないという思いが強くなってくる。製品をつくっているのは工場のようなラインを備えた選果場。生み出された箱詰め大根は工場製品のようにブランド名、規格だけで取り引きされていくのだ。1日に約1万1千箱が出荷のペース。重量にすれば約110dだ。
 選果されたあと1晩冷やされた「十勝だいこん」はトラックまたはJRコンテナで主に東京や大阪、名古屋などの市場に向けて出発する。6月下旬から10月下旬まで切れ目なく出荷は続き、4ヶ月で1万dを超える。
 大根は全国では年間おおむね200万dが生産されており、そのうち道内生産は約1割の20万d。ただし道内の出荷時期は初夏から晩秋までと短く、この時期には道外市場に道内産があふれることとなる。
 道内には豊頃町のほかにも大根の大産地が数多い。胆振の留寿都村、上川の美瑛町、桧山の厚沢部町、函館市など。しかし中でも豊頃町は道内へはあまり出しておらず、もっぱら道外に出荷してきた。
 その量は道内JAの中で常にナンバーワンを誇り、また市場評価も高い。量と質を兼ね備えた産地で、その出荷拠点がこの施設なのだ。

「十勝だいこん」はJA豊頃町から送り出される

   激変する農家の取り分
 しかし今年の現場は今一つ元気がない。安値なのだ。
 「これまでの平均単価は良いもので1030円といったところ。O−157騒ぎのときにもこんなに落ち込むことはなかった」
 とJA豊頃町の木幡光春農産課長は嘆く。10`の大根が消費地市場で1030円だという。
 ところが選果場の稼働費用、箱などの資材代、そして消費地までの運送費などを合わせると出荷に関する総費用は800円にもなってしまう。それを差し引いた残りの230円が農家の取り分という計算だ。これでは経営が成り立たない。
 昨年は3年ぶりの高価を記録して平均1450円だった。800円を引けば650円。その差は歴然としている。
 「供給が増えているかといえば、そうでもない。スーパーでは1本100円で売っても200円で売っても、売れる量は同じだというんですよ。これから秋にかけての価格に期待しているんですが…」
 たとえば卸売市場で1本90円の大根は店頭に並ぶまで90円の経費や利益を上乗せされたとして180円。もし市場価格が140円なら90円上乗せした小売価格は230円という計算。50円の差はそれほど大きくは見えないが、実は価格差のほとんどが農家の取り分の差ということになる。1本が10円になるか60円になるかということだ。
 それだけ野菜づくり、特に運送費その他の経費が莫大な重量野菜は、相場の変動で大きな収益の差となって現れる。組織的に生産し、量を確保して価格形成の主導権を握るという戦略が必要になってくる。

   牧草から転換
 道内でもいち早く組織的で大規模な大根栽培を始めたのがJA豊頃町だった。それまでは小麦、ジャガイモ、ビート、豆類といった畑作四品と酪農、畜産が主で、意外にも野菜づくりは家庭菜園程度だったという。
 12年前の昭和61年にJA豊頃町の大根栽培がスタートする。直接のきっかけは牧草販売の不振。輸入自由化と円高で安価な牧草が輸入され、競争力が急速に失われていった。
 そこで牧草地でも栽培できる野菜ということで目を付けたのが大根だった。
 豊頃町は寒流が流れる太平洋に近く、また町を十勝川下流が貫くため霧が出やすく、一般の作物にとってはあまりいい条件ではない。そのため牧草を作っていたのだが、その先行きが不透明になってきた。そんな事情からの大根栽培だった。
 ただJAがそうした方針を示しても農家個々の意識は急には変わらない。
 「機械での仕事だけをやってきて、それが手作業になった。370戸のうちの37戸、1割しか参加しなかったよ」
 JAの蔬菜生産組合長をつとめる森一彦さんが当時を振り返る。畑作4品や酪農、畜産は、苗を植える作業などを除いてほとんど機械力でやってしまう。極端な話、トラクターに朝から晩まで乗っているだけで1日が終わってしまう。収穫作業もほとんど機械化されているところが大根の栽培は土と素手でつきあわなければならず、これまであまり経験していなかった。さらに出荷作業となればまさに重量野菜そのもので体力が勝負。二の足を踏むのも分からないではない。
 ところが始めてみたら、これが高収入をもたらした。もともと大根は冬が旬。夏の栽培はスが入ったりして難しい。すなわち暑いところより涼しいところでうまく育つ。
 JAではその大根をまず大阪市場に出荷した。「食い倒れの大阪」で評判をとろうという作戦だった。その目論見通り評価は高く、その後京浜、中京へと販路を広げて行った。
 高収入が見込まれるとなれば栽培農家はどんどん増える。 6年後の平成4年には当初の4倍以上にあたる150戸を超えた。当然作付け面積が増え、生産量もうなぎ登り。しかしピークはそのころで、その後離農や高齢化で大根栽培農家が減少に転じ、現在は87戸となっている。

   労力不足は機械化で克服
 ただし1戸あたりの作付け面積は増えており、反収も増えて生産量自体はそれほど落ち込んでいない。
 「いろんな機械を開発したよ」
と、かつては生産組合の機械部長だった森さん。農家は畑作4品や牧草といった従来の仕事と平行して大根を栽培しなければならない。そのため作業の機械化がメーカーと共同で検討された。そして開発されたのが、畝をつくり、種をまき、その上を保温や雑草対策のためにビニールで覆うマルチングを同時にやってしまう機械だった。
 なにしろ大根の出荷は切れ目なく4ヶ月に及ぶ。毎日一定量を出荷するため、ローテーションを組んで各農家が種をまいている。機械化はどうしても必要だった。
 品種の選定にも大きな力を注がざるを得なかった。 というのは日々の出荷量を安定させるためには、それから逆算した種まきが必要だからだ。大根の品種は何百もあるといわれており、生育期間の長短などそれぞれに特徴がある。また同じ豊頃町内といっても海に近いところもあれば山に近いところもあって土地条件は様々。それでも決められた日に決められた量の大根を出荷するには、土地条件、品種を考慮して種まきの日を決め、それを厳格に守らなくてはならない。
 2年前からは大根を収穫する機械も登場した。JA豊頃町とメーカーが共同開発したもので、価格はまだまだ高いが、作業は格段に楽になり、早朝からの力仕事から解放される。
 道外から見れば高齢化が遅かった北海道農業も、やはり高齢化、離農が進んでいおり収穫の機械化は避けて通れない。ほかの機種も開発され、大根の大産地にじわじわと普及しつつある。

大根収穫機も登場


 ダイコンはアブラナ科の越年生植物。本来は秋に発芽し、春に開花する。春の七草にあるスズシロはダイコンの異名だ。
 原産地ははっきりしていないが、コーカサス地方だといわれている。古代エジプトでピラミッドの建設に従事した人々にダイコンが与えられたという記録が残っているほど、食材としての歴史は古い。
 日本でも古事記にオオネとして、また万葉集ではスズシロとして登場するほど古くから親しまれてきた。
 現在生産の主流になっているのは、地上に頭を出し、そこが緑色に染まった青首系。小ぶりで形が整い、みずみずしくて甘みがある。固くて辛みのある練馬大根などの白首系はごく少なくなった。
 各種苗会社から数多くの品種が出されており、ほとんどがK1と呼ばれる一代雑種。道内の大産地では長期間連続して出荷するために、いろいろな品種を組み合わせて栽培している。


良いものを 各地から