北日本漁業経済学会誌「北日本漁業28号」
          (2000年4月発行」)より
学会創立30周年記念シンポジウム(1999年11月札幌)での発言に若干手を加えたものです。

   フツーじゃない漁業

 私からは2つのことをお話ししたい。1つは現在の日本の世間一般の(フツーの)常識と漁業とにどんな違いがあり、それが漁業の将来展望にどんな影響を与えているか。特に農業との違いから考えていきたい。もう1つは私が参加している北海道漁協研究会(廣吉勝治会長)で行った漁業と農協との合併や提携についてのアンケート調査の結果を報告したい。

 私は水産業界紙に勤めたのち、フリーとなって、「家の光」という農協系統の月刊誌のレポーターもしてきた。漁業者だけでなく農業者とも接してきたため、否応なく漁業と農業との違い、漁業者と農業者との違いを実感することになった。

 これからの漁業を担う若い人々は、ほかの職業を親に持つ子どもと同じような食事をし、同じような道具を使い、同じような情報に接し、同じような学校生活を送ってきた。フツーの常識の中に身を置いて生活してきた。ひとり漁業だけが特殊な環境・制度だからと、世間との間に壁を残したままでいいのだろうか。

 そこで漁業の特殊性を、現役の漁業者、これから漁業を継ごうとする漁業者の子ども、または漁業者が親ではないが漁業をやってみたいという人々の立場を想定して考えていきたい。

 まず挙げたいのは漁業権の資産としての価値、特に農業と比較すれば共同漁業権の資産価値だ。農業では土地の売買だけでなく貸与する方法をとりながら新規参入者を受け入れている。離農農家は土地の売却でお金を得ることができるが、土地を売らなくともとも賃貸で収入を得ることができる。

 私の親は山形県で農家をしているが、最近では耕作を自分でできる範囲にとどめて、残りの土地は人に貸して若干の収入を得ている。土地が肥えているのか痩せているのか、日当たりはどうか、交通の便、将来農地以外に転用できるのか、さらには行政の指導・補助などさまざまな要素が絡み合って売買や賃貸の相場が決まっている。

 こうしたことは農業に限らない。普通の商店でも立地が良ければ土地の値段は高く、借地ならばその使用権も高い。商店そのものを売買する場合は顧客の数や質などを合わせての営業権(ノレン代)としての価値が出てくる。ノレン代が全額支払えない者はノレンを借りてでも商売できる。

 漁業は制度上その権利の移動にカネが介入しないことになっている。しかしこれはフツーの常識からはまったくかけ離れている。現在は漁業への新規参入はほとんどできず、離島など営漁や生活条件の厳しいところだけが新規就漁者にラブコールを送っている。資産価値のあまりないところだけが新参者を求めているにすぎない。

 水揚げがそこそこある漁業者が、年をとって漁業をやめたくても、やめられない。船や漁具を売っても二束三文。逆に廃棄物としてカネをとられるかもしれない。農業なら土地、商店ならノレン代に相当する資産価値の高い生産手段が漁業にはない。

 職業選択の自由がない漁業

 職業の選択という面でも漁業はほかの職業とは大きな違いがある。私の実家ではだれも農業を継がなかったが、これは農業に向かないと思ったからだ。経営の善し悪しが農業を継ぐか否かの判断材料にはなるだろうが、それよりも大きいのは個人が、農業が好きか嫌いか、向くか向かないかといった判断だ。農業だけでなくあらゆる職業にそうした職業選択の自由が今の日本に根付いている。

 ところが漁業だけが世襲制を貫いている。裕福な漁業者の長男でも漁業が向かないので別な職業に就いているという人はかなり多い。出ていくのは自由だけれども入ってくることができない。農業では新規参入者が出ていく人の穴を埋めることができるかもしれないが、漁業ではほとんど無理だという現実がある。

 最後に挙げたいのは漁業の発展性。企業は利益を得ればそれを再投資して商売を拡大させる。それによって企業は利益をあげ、新たな雇用も生む。ところが漁業では漁業で得た利益を漁業または海を利用した商売にほとんど再投資できない。

 オホーツク海でホタテの増殖よって利益をあげても、漁業者個人の懐を膨らませるだけで、新たな展開ができない。既存の漁業以外の別な方法で海を使う企業活動にはまったく投資できない。加工業や商業に手を伸ばすことはできるが、自分は漁業者にとどまっていない限り、高額配当は受けられなくなる。

 新聞・テレビなど同じ情報の中に身を置き、同じ物を食べ、同じ道具を使って生活してきた若い人々には、ほかの職業の親を持つ人々と同様に多様な性格の人間が育っている。本来は漁労に向く人もいれば、経理に向く人、経営感覚が優れている人、リーダーシップに長けている人、とさまざまな人々が浜で育っているはずなのに、受け入れられるのは漁業技術に長けている人のみ。

 現実はそうなのに「これからの漁業者は漁業技術だけでなく経営もリーダーシップも」と要求するのは無い物ねだりに過ぎず、「すべてそこそこのドングリの背程度で良い」と言っているようなものだ。

「ドングリの背」の組合員ではなく、漁業協同組合は経営面での発展が期待されているはずで、人材も集まりやすいが、協同組合という性格上、経営上の決断の仕方、その早さなどで制約があり、一般企業と競争していく上で不利な面は否めない。

 漁業は制度上、多様な人材が集まりにくいというのは否定しがたい事実だ。漁業に向く人材だけでなく企業家精神に富む人、堅実な事務方などあらゆる資質を持った人々を地域の漁業・水産業が十分に取り込めるような制度にならない限り、漁業はフツーの常識からますますかけ離れた存在となり、人材は集まらず、地域は衰退すると言わざるを得ない。

 北海道は特にそうだが農業では新規参入者が歓迎されている。新しい「血」が入ることで、停滞しがちな農村・地域に新しい可能性が芽生えることを経験的に知っているためだ。

 漁協と農業との合併・提携アンケート

 私が参加する北海道漁協研究会ではホクサイティック財団(北海道科学・産業振興財団)の補助を受けて2年にわたり「北海道における漁業協同組合の再編方向に関する基礎的研究」を行い、この8月に報告書をまとめた。その中で私は漁協と農協との合併、提携についてのアンケート調査を担当したので、簡単に報告する。

 根室市の根室農協青年部員全員の39名と歯舞漁協の青年部員は2倍以上いるため、数合わせのためそのうちの40人を対象とした。

 根室農協の将来展望としては、隣の大酪農地帯である別海町の4農協が合併し、そこに合流合併していくという構想がある。ところが別海町内での合併はところによって組合員の反対が強く、計画通りに進んでいないのが現実だ。根室農協の組合員には細長い半島部分で営農している人も多く、距離が遠く離れた別海との合併には素直に賛成できないのではないかという予測があってアンケートの対象にした。

 根室市内には4漁協があるが、歯舞漁協の青年部員を対象としたのは、もともと組合員、職員ともに勉強熱心でレベルが高いと思ったためだった。回答を得たのは漁業者8人、農業者10人の計18人。回収率は23%だった。

 最初に農協と漁協との合併や提携について問い、「検討する」と答えた人は12人で、「検討に値しない」が6人だった。信用事業や共済事業の効率化のためにどこに統一するかといった問いでは、農業者では「北信連」より「JA共済」、漁業者では「漁協の共済」よりは「マリンバンク」の方により多くの支持があった。合併や提携によって期待できる新しい展開を聞く問いでは、環境保全が11人と最も多い回答を得た。

 次に「もし具体的な構想として農協と漁協の合併あるいは固い提携の話が持ち上がったとすると賛成するか」という問いでは、「賛成」「どちらかといえば賛成」が合わせて10人で、「反対」「どちらかといえば反対」が4人にとどまり、「合併や提携する相手による」が4人だった。アンケートの冒頭で「検討に値しない」と答えた6人のうち2人がこの問いでは「どちらかといえば賛成」と答えており、アンケートに答えていく過程で起こった意識の変化が読みとれた。

 農水産業協同組合法という新しい法律の制定には賛成かという問いでは「賛成」が9人、「必要ない」が1人、「分からない」が8人だった。

 こうしたアンケート調査をしたのは、協同組合間の協同といった最近の協同組合運動の方向性が動機としてあったわけではない。現在農協、漁協ともに信用事業の強化・合理化を最も大きな命題として広域合併をはかっているが、そのための手段はなにも系統内の合併だけでない、地域によっては異業種、それも同じ農林中金につながる農協と漁協の合併(または提携)があっても良いのでは、といった素朴な発想からだった。この結果を踏まえてのさらなる論議と前進を期待したい。