スモークサーモン

 北海道のサーモンの産地といえばどこを思い浮かべるだろうか。日本語でいえばサケ。まず釧路、根室地方の道東太平洋。春のサケ・マスや秋サケの大産地だ。

 オホーツク海は秋サケの産地。雄武町あたりで獲れるメジカが高級品として有名だ。同じ秋サケだが山形県や新潟県の川に上るため産卵までまだまだ間がある。鼻が伸びておらず、両目の間隔が近いように見えるので目近。だから本来の表記はメヂカだろうが、ヂという字はこのごろあまり使わないらしい。

 またオホーツク海では最近になってオホーツクサーモンなる魚が登場した。なんのことはない普通のマス、正確にはカラフトマスで夏に獲れる。秋サケの相場に引っぱられ、あまりにも安いため、地元の人々がサーモンという名前をつけて、心機一転、人気挽回をはかっている。

 まあ、本来北海道近海で獲れる「サケ」と「マス」で大きなちがいはない。同じサケ科の仲間だ。呼び方にも厳密な区別はないようで、ベニザケのことを昔はベニマスと呼んでいた。カラフトマスは英語でピンクサーモン。日本のサケ缶はピンク缶とも呼ばれ、カラフトマスを使っている。

 一番大きくなる種のマスノスケは英語ではキングサーモンだ。

 ところで工業都市、苫小牧の名物駅弁にサーモン寿司というのがある。ご存知、王子のスモークサーモンを使った押し寿司だ。

 このスモークサーモンは王子製紙の子会社、王子サーモンが製造しており、高級品として知られている。かねてからどうして製紙会社がこんな製品を作っているのか不思議で仕方なかった。

 一応、製紙会社だから薫製づくりに欠かせないおがくずや木片はより取りみどりだということは分かる。でも釧路の十條製紙ならまだしも、苫小牧の王子製紙とは…。

 先日、JR北海道車内誌の取材で現地を訪れ、その謎を解くことができた。

 発端はちょうど四十年前の昭和三十六年(一九六一年)にさかのぼる。

 後にともに社長となる王子製紙の副社長や苫小牧工場次長をはじめとした会社幹部たちが欧米視察をした。その際、ロンドンの「スコッツ」というレストランで食べたのがスモークサーモン。たいへんおいしかった。普通ならそれまでだが、苫小牧に帰ってから話は急展開する。

 地元の有力企業に苫小牧冷蔵という会社がある。幹部がこの冷蔵庫会社社長から、苫小牧や日高沿岸の定置網で獲れている「オースケ」がイギリスに輸出されていることを聞いたのだ。なんのことはない、イギリスで味わったサケが、じつは日本産、しかも地元産だったかもしれない。それならイギリスで食べたようなスモークサーモンをつくってしまおうではないか。

 一般的に「オースケ」とはマスノスケだが、日高・苫小牧地方でいう「オースケ」とはトキシラズのこと。秋サケと同じ「サケ」(またはシロザケ)という種だが、アムール川(黒竜江)などロシアの河川に上る。その途中に三陸や北海道太平洋沿岸を通るため、定置網などで漁獲され、メジカ以上に脂が乗っている。

 ただし当時は母船式を中心とした北洋漁業が全盛。「オースケ」の強い脂の乗りが塩蔵保存に向かないために、価格が安かったという。

 一方でイギリスでスモークサーモンの原料にされていたアトランティックサーモン(太平洋サケ)は漁獲が少なくなっていた。それで魚肉の色、質が似ている「オースケ」が冷凍輸出されていた。

 そのスモークサーモンをつくれないか。苫小牧冷蔵で薫製づくりが始まった。しかし試作を頼んだ方は賞味したことがあっても、頼まれた方は見たことも食べたこともない。当時、薫製といえば、乾燥していて硬いタイプ。めざすスモークサーモンは刺身のように軟らかい。すでにソフトタイプは函館などでつくられ始めてはいたが、ロンドンのそれとはちょっと違っていたという。

 一年後、ようやく満足できる製品ができ、ホテルトマコマイや王子クラブにて試食、札幌のホテル三愛(現パークホテル)やグランドホテルに見本品を提供するにいたった。さらには東京や大阪のホテルに見本を提供した。

 しかしサケといえばまず塩蔵品が頭に浮かぶ日本人。しかもベニザケの鮮やかな赤を見慣れており、トキシラズの淡い色はあまり受けなかったらしい。

 人気に火をつけたは東京の一流ホテルに宿泊した外国人だったという。好評を博したスモークサーモンは、今度はホテルの厨房からホテルの厨房へと、コックさんを介して連鎖的に広がっていった。

 昭和四十二年には王子製紙の子会社の北海道サーモンを設立、二年後に王子サーモンと改称され、昨年、販売強化のため本社を東京に移して現在に至っている。

 生産量の増大とともに原料はトキシラズだけでなく、カナダ産ベニザケ、ノルウェー産やイギリス産の養殖アトランティックサーモン、チリ産養殖サーモントラウトなどと拡大してきている。味と見た目が勝負なので、原料は厳選しているようだ。

 業績は順調そのもの。水産加工業といえば億単位でもうけたり損したりを繰り返すというイメージがある。王子サーモンの場合、親会社同様の堅実経営。もっとも親会社は「石橋をたたいても渡らない」といわれているそうだが。

 総グルメの日本にあってソフトタイプのスモークサーモンはそう珍しいものではなくなった。でも四十年前は事情がまったくちがう。大企業トップの舌からでなければ、こんなぜいたくな製品は生まれなかったはずだ。 (春秋ほっかいどう) 

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