3 空を飛ぶ夢に近づいた日
−滝川−

1992年7月



  教官は日本最強コンビ

 4点式のベルトを締め、湾曲した透明な風防を倒す。前方の滑走路には軽飛行機・コスモス号の美しい機体。それが走り始めた次の瞬間には自分も動きだした。
 滑走路の半分ほど走ったころ、あれ、浮いたかな?横を見ると地面はすでに5メートルほど下である。何とスムーズな離陸であろう。

 乗っているのはグライダー、名前は飛鳥号である。
 私がスムーズな離陸をしたわけではなく、操縦しているのは滝川スカイスポーツ振興協会教官の丸伊満さ ん(35)。先日のグライダー日本選手権で優勝を果たしたばかりである。わが飛鳥号をロープで引っ張るコスモス号の操縦士、池田亨さん(45)は9600メートルというグライダーの高度日本記録保持者。2人はいわば日本のグライダー界を代表するゴールデンコンビなのである。

 飛鳥号はどんどん上昇する。眼下には自然な曲線を描く石狩川と機械的な直線で区切られた水田。田植えの時期で水が満たされ黒く光っている。数分間上昇したあとロープがはずされ、コスモス号が左旋回して去っていく 。グライダーは自由の身となった。

 練習ならさらに高い位置で離され、上昇気流 を捜しながら宙に舞うのだろうが、なにせ私は体験搭乗。グライダーの雰囲気を味わうのが目的である。
 「上昇気流があると上っていけるんですが…」

  トンビとおんなじだ

 風きり音が大きくて前の座で操縦している丸伊さんの声はかき消されぎみである。地上で聞いた話では、トンビの集まっているところを見つけグライダーを 突っ込むのだという。そこには上昇気流が発生していて、鳥は羽ばたかずとも飛行できる。鳥が集まるのは地上から吹き上げられた虫を食べるのが目的だそうだ。遊びで飛んでいるわけではないらしい。

 大きく旋回して逆方向に向かう。気流が安定しているうえに最高の操縦技術でまったく不安はない。列車が鉄橋を渡っていく。
 石狩川と空知川の合流する地形がはっきりわかる。街で目立つのは広いグラウンドを持つ学校である。

 「あした運動会なんで場所とりに集まっているんです」
 校門の前に人だかり。前の日から運動会応援のための場所とりをする。北海道の運動会は地域あげてのビッグイベントだというが私にはピンと来ない。きっと花見か、私の故郷の山形なら芋煮会という感覚なのだろう。こういう妙に俗っぽい光景を空からのぞくと、なんて自分は自由なんだろう、といった優越感のようなものが湧いてくる。

 子どものころ空を飛ぶのが夢だった。ただし夢のまた夢のような漠然としたおもいだった。旅客機に乗って空を飛ぶこと自体は実現したが、抱いた夢にはほど遠い。今その夢にかなり近づいている。もし自分で操縦しているのなら夢のまた夢が実現したことになるのだが…。

 飛鳥号は高度を徐々に下げ、旋回しながらて石狩川の堤防を越え、滑走路に入っていく。安定していてまったく不安がない。着地のショックもほとんどなく 、みんなの待っているところまで滑走してストップした。グライダーは自分で地上を走れないので、目的のところで停めるのも簡単ではない。教官ならではのテクニックである。

 こうして飛行時間約20分、費用5000円なりの体験搭乗は無事終了した。




  大洪水がきっかけでメッカに

 滝川市はグライダーのメッカである。市の教育委員会にスカイスポーツ振興課があり、池田さんは課長、丸伊さんは係長という肩書きを持っている。滝川ス カイスポーツ振興協会という組織をつくり、会員を募ってグライダーの教習などをしている。なにせ火曜と水曜をのぞく毎日、天気さえ良ければ教えてくれる。

  訪ねたのは土曜日の朝で、地元会員のほか札幌や小樽、それに泊まり込みで秋田県から来ている人も練習していた。

 場違いな背広姿の2人連れがいて、私と同じ体験搭乗。東京からの出張のついでに寄ったという。

 滑走路は石狩川の河川敷にある。格納庫や事務所、コーヒーが飲める喫茶室も入っている建物は堤防をはさんで反対側。すぐ横を函館本線のレールが走り、 滝川駅も歩いて10分ちょっとと絶好の位置である。

 滝川市がグライダーのメッカとなったのはそれほど古い話ではない。
 きっか けは昭和56年の水害で市長さんが上空を視察した際、搭乗した軽飛行機を操縦していたのが元航空大学校教官の吉田勝三(69)さんだったこと。吉田さん は札幌でグライダーや軽飛行機の操縦を教えたり、道新文化教室で航空教室を担当していた。

 市長さんと吉田さんは話がはずみ、ここにグライダーの飛行場をつくろうと いうことになる。グライダーだけなら舗装の滑走路を必要としない。平らであれば牧草地でもよい。この年の10月にテスト飛行が行なわれ、滝川でのグライダーの歴史が始まった。

  生物研究者と対戦車ヘリ隊長

 次に登場するのが北海道大学の修士課程で生物の研究をしていた丸伊さんである。グライダーに熱中していた彼は滝川の話を聞きつけ、自分ならこうするというプランをつくって市長さんに面会して訴えた。生物学を捨て、趣味でしかなかったグライダーに今後をかけるという決意も携えてである。
 その熱意を買った市長さんは彼を市職員に採用、本格的なグライダーのまちづくりが始まった。

 さらに人材が集められた。池田さんは北海学園大学でグライ ダーをやり始め、飛行機好きが高じて陸上自衛隊に入ったひと。対戦車ヘリコプ ターの隊長を務める傍らグライダーを教え、丸伊さんも教え子の1人である。
 飛行隊長を引き抜くとは滝川市の度胸もたいしたもの。さらに航空機整備士の五十嵐仁樹さん(27)も加わって全国的にもまれな充実した体制となったのである。

  ジュニアを育てる

 現在の会員は120人。入会金が4万円で年会費が3万円、それに練習する には年に1度の身体検査が必要で約2万円かかる。また練習の都度の料金がある 。
 中学・高校生を対象としたジュニアグライダークラブもあり、現在30名ほどが練習中。入会金なし、年会費7500など一般よりぐっと安い料金設定になっている。

 「日本の航空界を欧米並みにしていきたい。グライダーはこんなに楽しいんだと知ってもらいたいんだよ」
 と池田さん。そのため将来を背負って立つ子どもたちの教育に力を入れてい る。

 日本選手権で優勝した丸伊さんは世界選手権への出場資格を得た。しかし出場の予定はない。
 「日本では参加費用を個人で集めなくてはならない。それに今のレベルはまだまだ世界に達していないんです」

 休みの火曜日と水曜日は2人の教官の練習日。グライダー2機で遠く十勝ま で飛んでいく。長時間の飛行で生理現象はどうするかといったくだらない質問に、1人は水がゲル状に固まる携帯トイレ、もう1人はただのビニール袋だそうな。

 それにしてもみんな明るい。喜々としている。この表情は新しいおもちゃを買ってもらった子どもとかなり似ている。
 ただし同時に謙虚さも兼ね備えている気がする。大気という自然そのものを相手に行動しているからかもしれない。自転車の乗れる人ならグライダーも操縦できるそうだが、競技となれば危険を伴う場面もあるという。

 近くで遊んでいた4、5歳の男の子2人組が滑走路のわきに置いてあったグライダーをさわり始めた。会員が心配して見に行く。
 「さわらせておけー」
 池田さんの声が飛んだ。

 航空動態博物館という名の新手の格納庫ももうじき完成する。庫内の飛行機を自由に見てさわってもらおうという趣向である。
 滝川 の飛行場は市民に開かれたうれしい飛行場なのである。

(その後丸伊さんは夏は滝川、冬はオーストラリアでグライダー一色の生活を していましたが、オーストラリアで事故に遭い亡くなりました。ただただ残念の言葉しかありません)