11(最終回)ダイヤモンドラインを行く
−朱鞠内・母子里−

1993年3月



  あこがれのダイヤモンドダスト

 20年ほど前、北海道に来て間もないころ、道北の街で生まれ育った女友達がいて、ダイヤモンドダストのことを初めて聞いた。凍れのきつい朝、台所の窓からその自然現象が見えるという。太陽光線の中で無数の細かいキラキラが宙を舞う。いつか彼女と一緒にそのロマンチックな光景が見られたらと思ったものだった。しかし今までダイヤモンドダストに出合う機会はついになかった。

 日本一の厳寒の地を真冬に訪ね、ダイヤモンドダストを見る。これが今回のメインテーマである。


 函館本線の深川駅から深名線に乗り換え、朱鞠内駅で降り てまず朱鞠内湖のワカサギ釣りを楽しむ。そのあとマイナス41.2度という日 本で最低気温を記録した母子里まで行き一刻舘という民宿で一夜を過ごす。運が良ければ翌朝ダイヤモンドダストと対面できる。この20年近い間、ずっと抱き続けてきたロマンが実現するかもしれない。

 今回はカメラマンの増井氏のほか、編集担当のK部長とM氏も同行している。いずれもワカサギ釣りに釣られての旅である。ダイヤモンドダストにひかれる私の胸の内は知る由もない。

 11時7分深川発・朱鞠内行きの車内は思ったよりも込んでいて座席の半分が埋まっていた。お年寄りや小さな子どもを連れた母親などが乗客で、大きなリュックをかついだ大学生らしい男たちも数人いる。彼らが何者なのかは後に知る。

  深名線の愛称考えた

 雪で覆われた農村風景と森林の風景が交互に現れては消えていく。
 隣のボッ クスにいたおばさんは膝の治療で週に3回、幌加内から深川の病院に通っているという。ほかの乗客も病院通いが多いようだ。
 「今年は暖冬だもの。日中、火たかなくてもいい日があるからね」
 ここも暖冬らしい。ダイヤモンドダストは難しそうだ

 深川駅を出て1時間ちょっとで幌加内。乗客の大半が降りていく。それから30分の添牛内で2人が降り、ついに例の若者たちだけになってしまった。格好は登山のようでもあるが、深名線沿線に有名な山などあったろうか。


 K部長に一つの話を持ち掛けた。最近、学園都市線や花咲線、それにふるさと銀河線といった愛称がはやっている。深川と名寄を結ぶ深名線にも愛称を考えようではないか。

 「ダイヤモンドラインだな」
 即、答えが返ってきた。ダイヤモンドダストが舞うほど凍れた空気をかき分けて走るディーゼル車。なるほどダイヤモンドラインか。でも深緑の夏はどうなんだ。とはいっても特徴はやはり日本最寒の地を走るところだろうな。ダイヤモンドという崇高な言葉が使えるのはここしかあるまい。

  朱鞠内湖で大漁だ!

 そんなことを考えている間に終点の朱鞠内駅に到着。深川から2時間弱の旅である。さあ、これから4キロほど離れた朱鞠内湖へ歩き、釣り道具を借りてワカサギ釣りである。男が4人そろっているものの、釣りの経験はみんな乏しい。 少しは釣れるんだろうか。

 ところがまさに入れ食いだった。湖畔の漁協詰め所で入漁料1人千円を払い 、竿を借り、仕掛けと餌を買った。全員初心者なので、監視員の村上昭一さん(64)がついてきてくれた。場所も釣り糸の長さも村上さんまかせである。本業は農業で1月15日から3月いっぱい、漁協に頼まれて監視員をしている。

 村上さんが釣り糸を穴の中に入れてものの5秒ほどで当たりが来た。引き揚げるとワカサギがパタパタ暴れている。村上さんとまったく同じ仕掛けをつくったK部長もすぐに1尾を釣り上げた。

 みんな始めはコツがつかめず、当たりが来 ても逃すことがあったが、すぐに要領を覚え、それからは入れ食いが止まらない。2人が釣って、1人がワカサギを外すのだが、外す方がいつも追いまくられるほどである。ワカサギ釣りといえば氷の穴に釣り糸を垂れてじっと待っている、といった のどかなイメージを描いていたがとんでもない。約2時間、ほとんど切れ目なく釣りまくった。

 漁協の詰め所でも、短時間でこれだけ釣るのは珍しいと、釣果に驚いたほど。これもすべて親切な監視員さんのおかげである。




  湖畔駅に怪しい人影

 あたりが暗くなったころ、朱鞠内湖の湖畔にある湖畔駅から最終の名寄行きに乗って今夜の宿泊地、母子里に向かうことにした。

 それにしても駅名がただの湖畔とは大胆不敵。全国的に湖畔という駅はここだけなのだろう。これとは逆にかわいそうなのが北母子里駅。根室本線に茂尻という駅があるためモシリが使えず北がついたという。

 湖畔駅は小さな待合室があるだけで、中にも外にも照明がなく真っ暗。駅というより停留所といった雰囲気である。ところがガラス窓に内側から丸い光が映っては消え映っては消え、まるで泥棒が留守宅で仕事をしているよう。ワクワク しながらのぞいてみると、いたのは例の若者たち。この駅舎に泊まり込むという 。

 法政大学野宿同好会というのが彼らの正体だった。間もなく名寄行きが到着し、4人のうち3人が駅舎に残り、1人が我々と一緒に乗り込んだ。野宿とは興味津々。4年生でこの春デパートに就職するという宮本隆行さんを車内で質問責めにした。

 この同好会は発足して3年目だが、会員は当初の6人から30人に増えたという。あらかじめ旅先で落ち合う日と場所を決め、各自が思い思いの旅を楽しみながら1ヵ所に集まってくる。ほとんど野宿だが夜行列車を利用したり普通の宿に泊まることもある。

 「集合場所で酒盛りして話をし合うんです。みんなが別なところを見てきているので、それはおもしろいですよ」
 今回の集合場所は石北本線の奥白滝だそうで、宮本さんはこれから夜行で網走方面に向かう予定だという。彼の話が楽しく北母子里駅までの25分はアッという間に過ぎてしまった。

  最寒の宿

 いよいよ日本最寒の地、母子里である。駅にほど近い一刻舘に向かう。主人 の森田俊雄さん(31)にワカサギを渡し、てんぷらをつくってもらった。

 味のほどは最高。自分たちが釣ってきたばかりの魚がまずいはずはない。通常の夕食プラス、ワカサギのてんぷらで満足満足の夕食となった。


 食事をする部屋には外の気温が分かるデジタルの温度計が設置されている。壁に張ってあるのは去年と今年の対比表。去年はダイヤモンドダストの見えた日が42日、マイナス30度以下の日が9日あった。

 今年の欄はすぐに書き替え られるようになっていてダイヤモンドダストが13日、マイナス30度が2日し かない。
毎日の最低気温を森田さんはグラフ化しており、すぐに調べることができる。去年の同期に比べるとダイヤモンドダストが5日少なく、マイナス30度以下は2日少ないという。

 森田さんは埼玉県出身でサラリーマンを辞め北海道にあこがれてやって来た。牧場で働いたこともあり、ここで民宿を始めたのは4年前。母子里はよそ者もやさしく受け入れてくれる土地柄だという。


 ただし住民は減る一方で小中学校は 今いる中学3年生2人がこの3月に卒業すると、生徒がだれもいなくなって廃校 となる。これには一同しんみり。

 翌朝、快晴ではあるが気温はマイナス6度。前日からの予想通りダイヤモンドダストにはついに出合えなかった。
 感激の涙をほかの男どもに見せずに済んだ 。次は1人で来よう。

 朝の光を浴びて森田さんの愛犬2頭がレース用のそりをグイグイ引っ張っていく。車のまったく通らないまっすぐな雪道を疾走してゆく。
 人口流出の続く厳 寒の地にも力強く根付こうとする人や動物がいる。そんな姿を見た思いだった。

(ほどなく深名線は廃止されバスに転換、ダイヤモンドラインという愛称も日の目を見ることはなかった)