10 タコシャブの真打ち登場
−島牧−

1993年2月



  ホンモノのタコシャブ求めて

 午前8時、特急北斗4号で札幌駅を出発した。目指すは日本海に面する後志管内島牧村。今回の好奇心は、線路を行くだけでは足らず路線バスも使う。センロもロセンも似たようなものじゃないか。

 北斗4号は快適な走りで洞爺駅に到着。ここで普通列車に乗り換えて長万部まで来た。数ある上りの北斗のうちで4号だけが長万部に停まらない。そのための乗り換えである。

 駅前を昼の12時ちょうどに発車するニセコバスで内浦湾の長万部から日本海の寿都町へと抜け、ニセコバス寿都営業所で乗り換えていよいよ島牧村である 。


 島牧村役場前を過ぎたら高島旅館という道端の看板が目に入った。えてして旅館の看板は錆びてボロボロ。しかしこの看板はしっかりしていて歓迎する意思の強さが感じられる。我々が目指しているのは島牧村の、この高島旅館そのものなのだ。賀老通りというバス停で下りると、そこが旅館前。札幌から延々6時間20分の旅だった。

 この旅館で食べさせてくれるタコシャブとはどんな味か? それが旅のただ一つの目的である。
タコシャブは稚内などの名物料理として有名である。しかし何度食べても今一つの感が拭い去れない。確かに珍しく、それなりにおいしいのだが、どうもインパクトに欠ける。正直そんな気持ちだった。

  使うのは生きたタコ

 あるとき漁村出身の人と話をしていたら、タコの冷凍と生とでは全然比べものにならないと言う。普通のタコジャブは冷凍ダコを使っているのである。ところが高島旅館では水槽で生かしているタコを使う。それにお湯ではなく日本酒を使ったシャブシャブである。

 このことは拙著「北のさかな物語」(北海道新聞社)を出版するとき、高島旅館のご主人、高島輝彦さんに電話でうかがった。それ以来高島旅館のタコシャブが気になって仕方がない。冷凍ダコのタコシャブを口にするたびに気持ちははるか島牧村に飛んでしまう。今まさに私は憧れのタコシャブを目の前にしている 。

 その日は泊まり客のほか地元の人々の宴会が二つ入っていて高島さんは調理場で忙しく働いていた。それでも、タコを切るところを見せてほしいと頼むと、快諾してくれた。37歳と若い宿屋の主人である。奥さんの匡恵さんともども晴れやかな笑顔を見せてくれる。

 これまで電話で何度か話してきたが、二人ともいつも温かみのある受け答えをしてくれた。私の経験ではこう感じのいい旅館はあまりない。そんなことも島牧行きを決意させた動機の一つになっていると思う。タコシャブという料理だけでなく、そうした料理を出す人間も魅力的だったのである。

 荷物を部屋に置いてとりあえず我々は歩いて数分の漁り火温泉へ。シャワーも整った真新しい施設で露天風呂がある。露天風呂の向こうは日本海で景色も最高。これがたったの100円で入れる。清掃協力金として100円玉を箱に入れるだけなのだ。この風呂には翌朝もお世話になった。




  いよいよです

 さて、いよいよタコの調理である。グニャグニャと動くタコの足を一本切り取り、吸盤のついた皮をはぎ取る。生きたタコをさばくのは難しいというが、さすが高島さんはなれた手つき。皮をはいだ身は刺身のように薄く切っていく。皿に並べられた白い身が動いて縮むのが何とも奇妙である。

 部屋のテーブルにタコシャブ1人前を用意してもらった。電話で日本酒を使 うと聞いて、湯水のように酒を使うシャブシャブだろうというイメージを持っていた。
使ったあとの日本酒はどうなるのか、と心配していた。私は食い物と酒のどちらか一方だけ、と問われれば酒を選ぶタイプなのだ。

 ところが現実はいたって質素。1人用鉄鍋に銚子1本の酒を入れて炭火で沸かすだけである。これなら大量の酒を必要とせず心安らかにシャブシャブが楽しめる。

 真打ちタコシャブの前に前座のタコ焼きをいただいた。足の先っぽの細い部分を吸盤と一緒に輪切りにして串に刺す。これを炭火で焼いて食べる正真正銘のタコ焼きである。

 柔らかいのにポリポリした歯ざわりで、これまでのタコ料理では経験したことのない味わい。やはり生のタコは煮ダコとは別物である。

 そしてタコシャブ。たれは三種類が用意されている。タコを箸でつまんで酒の中に突っ込み、透明感がなくなったころを見計らって食べた。

 6時間かけて来た甲斐があった。いくらでも食べられる。これぞ私の求めていたタコシャブだった。

 調理場で「これを食ったらやめられませんよ」と言っていた高島さんの言葉はまさにその通り。カメラマンの増井氏は「冷凍のタコシャブとは全然ちがう」とおいしさをしっかり受け止め「酒くさいのかと思った」とも。私は酒のにおいなどまったく問題にしないが、増井氏はアルコールはビール中瓶1本で十分というタイプなので、気になっていたらしい。

 1人前のタコシャブはあれよあれよという間になくなってしまった。実はこのセットは写真撮影用のもの。タコシャブを求めてはるばるやって来た我々のためにわざわざつくってくれたのである。

  もう結構ギブアップ

 それからが本当はたいへんだった。旅館の宿泊は1万円のおまかせプラン、8500円の特選プラン、7000円の旬感プランの3段階になっている。我々は1番安い旬感プラン。ところが、これでもかこれでもかとばかり料理が出てくる。

 アワビの刺身とホッキ貝の刺身、ボタンエビもある。殻付きカキが3個にホタテが1個。2個のカキは生食用でもう1個のカキとホタテは炭火で焼いて食べる。メバルの塩焼き、ナマコの酢の物、それにタラとズワイガニの入った鍋。新鮮なタラのタチがうまい。デザートにメロンまで出てきた。

 念のために我々が特別メニューではないことを確かめた。となりの部屋には刺身用の舟がデンと置かれていたから上級プランだったのだろう。とにかくどの料理も素材の良さが生きている。私だけでなく増井氏も3時間ほど格闘した末に投げ出してしまった。

 朝食でまた感激。刺身のイカがおいしい。聞けば前日に水揚げされたイカだという。どうりで。浜辺の親戚に遊びに行って、ごちそう責めにあっている気分はこんなものなんだろう。ただし旅館は商売である。こうした料理を出す裏には大変な苦労があ ることも察しがついた。


 匡恵さんに尋ねるとやっぱり。親戚をもてなすのと客を もてなすのでは根本的にちがうのである。
「半分は材料費です。それでも米や野菜は両親がつくってくれるのでその分助 かっているんです」

 その朝、輝彦さんはいなかった。晩のうちに札幌へ仕入れに出かけたという。週に1度の割で札幌に出かけて魚貝類や野菜を運んでくる。確かに地元産の魚貝類は多かったが、カキはここではとれないはずだ。

 輝彦さんの話が聞けないのは残念である。地元高校を出て東京の調理師学校に入り、その後東京、札幌、金沢、京都でも修行を積んだという。12年前、旅館の改築を契機に戻って来てあとを継いだ。匡恵さんは道北の天塩町出身で札幌 時代に知り合ったそうだ。


 帰りは絶好の晴天。海岸線を走るバスが心地よい。来るときは気づかなかっ たが、道路と海岸の間に田んぼも見える。なるほど島牧には水田がある。海の幸ばかりではない。


 寿都でバスを乗り換え黒松内駅へ。来るときとルートを変え、函館本線で小樽を経由して札幌に向かった。夕食は倶知安駅のてんぷらそばのみ。前日からの栄養過多の体にはちょうどいい軽さであった。