8 イクラ丼発・焼酎経由・露天風呂行き
−釧網本線−

1992年12月



  和商名物の連携イクラ丼

 釧路駅前の和商市場で朝めしにイクラ丼を食った。
 ただし食堂で、ではない 。惣菜屋さんでパック入りごはんとインスタント味噌汁を買い、味噌汁にはお湯 を入れてもらう。それを魚屋さんに持ち込み、ごはんの上にイクラの醤油漬けを たっぷりかけてもらったのである。

 総菜屋さんと魚屋さんの連携プレイが屋台感覚の食堂をつくりだす。知る人ぞ知る、旅人に人気の新名所である。

 これから2泊の予定で釧網本線をちょっとばかり放浪する。なにしろ私と相棒の増井氏は道東フリーきっぷを持っている。このきっぷを駅員さんに差し出せば、恐れ入りましたとばかり、区間であればどこでもフリーパス。朝からごちそうにありつけて、釧網本線の旅はさい先よいスタートを切った。

 とりあえず網走行き快速しれとこに飛び乗った。増井氏は、泊まるところ決めなくていいの、と早くも心配顔だが、ちょっとした放浪なのだ。簡単に決めてはならない。

 つい10年ほど前は釧路市街を離れるとすぐに広々とした湿原を走っていたような気がするが、宅地化が進んだのだろう。なかなか家並みが途切れない。それでも十分ほど走れば湿原の雰囲気が出てきた。

 釧路湿原駅で10人ほどの若者が下りていった。5月から11月までの季節停車駅だそうだが、しゃれた駅舎である。まずここに下りよう。ただし我々はフリーパスの特権をもっている。このまま乗って次の塘路駅で釧路行きに乗り換え、 戻ってくる方法を選んだ。何しろ今ここで下りると、次の列車までの待ち時間が半端でない。2時間以上なのである。

 湿原を走る列車に揺られていると、ほかでは味わえない感覚におそわれる。安らぎというか、なにか心が落ち着く感覚である。どうしてなのだろう。答えが 出る間もなく列車は塘路駅に到着し、すぐ乗り換えて釧路湿原駅に戻ってきた。片道15分、往復30分間、湿原の旅を得した気分である。

 駅から10分ほど上ったところにある細岡展望台はさすがの眺めである。カメラのシャッターを切る増井氏がぼやく。

 「掲載されるのは12月号だから緑の景色は季節感がずれるだろうな」
 この駅にしても12月には閉鎖されてしまうのだ。

  前代未聞の「鉄道出前」

 展望がいくらすばらしくとも30分もいられないのが俗人の悲しいところ。 駅舎に戻って自動販売機のコーヒーを飲みながら、ただただ時間をつぶした。
 俗人は私たちだけではなかった。展望台から下りてきた人々が駅舎の中をう ろうろ。釧路行きの列車を待ち切れずタクシーを呼んでくれ、と頼む人も現れた。

 駅に公衆電話はない。駅員さんが、鉄道電話で釧路駅を呼び出し、タクシーが来ることは可能か、料金は、といったことを同僚に聞いてもらっている。 いつもの駅員さんがきょうは休日で、そのピンチヒッターだそうだが、旺盛なサービス精神である。


 ひまつぶしに駅員さんと話しているうちに昼になった。釧路駅でイワシ寿司弁当を買ってくれば良かった、と何気なく言ったら、次の列車で持ってきてもら いましょうか、ときた。

 「そんなことして釧路の駅長さんに怒られませんか」
 「いや、うちの駅長はお客さんのためなら何でもやれ、という人で…」
と、意に介さない。我々は前代未聞の鉄道出前を頼むことになったのである 。

 「こりゃ案外はやるかもしれないな。駅弁の一覧表を駅舎の壁に貼っておいて 、注文を聞いて取り寄せてもらう。出前賃100円くらいは上乗せしてもいいだろう し」
 こうなると無責任な思考は止まらない。なにせ時間は飽きるほどあるのである。

 駅弁の出前を運転士さんから受け取り、ついでにその列車に乗り込んだ。摩周駅、元の弟子屈駅で降りる。イワシの寿司で腹ごしらえして、そろそろ宿を探そうか。駅内に観光案内所があって弟子屈町内の宿泊施設が全部わかる仕組みだが、なかなか決まらない。

 なにせ数が多い。町内には摩周温泉、川湯温泉、和琴半島などの温泉地があって、パンフレットに出ている宿泊施設は75にも及ぶのである。
 とりあえず次の列車で川湯温泉駅まで行ってみよう。




  起死回生のアイスクリーム

 着いたのは午後3時半ごろ。いくらちょっとした放浪といっても日が短くなっているし、晩ごはんを出してもらえないと困るので思い切って宿を決めよう。

 案内所のおばさんは、駅前のホテルに露天風呂があると言っていたのでそこに入 った。晩も朝も露天風呂の風呂ざんまい。特に朝は硫黄山が間近に見えていい気分である。


 このころになると、ようやく日常の時間の感覚から抜け出した。釧路湿原駅で感じたような、有り余る時間に対するあせりみたいなものが消えてしまった。いくらせかしても時間は速く流れてくれない、それならのんびりいこうという悟りの境地に入ったようなのである。

 川湯温泉駅に近い手づくりアイスクリーム屋さんをのぞいてみる。じつはここの社長、鈴木繁さんは酪農の規模拡大で9千万円という借金を背負った人なのだ。

 乳価の低迷などで計画が狂い借金をふくらませたわけだが、心機一転アイスクリームでもう一度勝負に出たのである。アイスクリームだけでなく今後は観光イチゴ園を開いたり、ほかの農家と組んで宿泊施設もあるレジャー基地をつくりたいという。アイスクリームの好調な売れゆきで自信をつけ、もっと大きな夢を追いかけ始めたらしい。

  ジャガイモ焼酎もいける

 網走行きの列車に乗り、清里町で降りて焼酎工場を見学した。工場内に試飲用の焼酎が用意してある。勝手にいただいてみて驚いた。陶器のびんに入った北緯44度という焼酎が沖縄の高級泡盛に匹敵するおいしさなのである。

 説明に出てくれた長屋将木さんが最初から焼酎づくりに携わったその人だった。ブームが起きるずっと前の昭和50年に特産のジャガイモを使った清里町営の焼酎づくりが始まった。初めは中学校の古い校舎を工場にし、後に現在の立派な工場が建てられた。黒字とまではいかないが、清里町の顔として焼酎は大いに役立っているという。

 それにしてもおいしい。最近ウイスキーがおいしくなったのに、焼酎は相変わらずだと思っていたのである。ただし長屋さんの説明では、私がべたぼめしている焼酎は原酒で、20度くらいの普通の焼酎はそれを水で割っただけだそうである。そんなもんですか…。


 清里でいい気持ちになって列車に乗り込み斜里駅前で昼食。フリーパスの特権でまたUターンして摩周駅で降りる。今度も温泉だとばかり、バスで和琴半島に足を延ばした。


 暗闇の中で入る和琴半島の露天風呂もよかった。しかし翌日の朝風呂はバス時刻が早すぎて無理。心残りである。


 さて帰りは釧路経由にするか、それとも網走経由にするか。どっちでもいいフリーきっぷならではの悩みである。

 結局、湿原を通りたくて釧路まわりで札幌に向かうことにした。

 車内でじっくり考えた。どうして湿原を走る列車にひかれるのだろうか。まず近くに山がないので視界が開けている。トンネルもない。それにレールのわきには建物もなければ電柱も電線もない。当然道路標識もない。


 すなわちここには視界をさえぎる自然の物も人工の物もないのである。しかも海面や砂漠といった単調さではなく、動植物の息づかいが聞こえるような潤いある光景が延々と1時間近くも続く。これが心地よい気分にさせるのではないだろうか。

 また冬にでもちょっとした放浪を楽しみたい。イクラ丼とイワシ寿司を食って露天風呂につかって…。
 そんな気分にさせてくれる湿原列車の旅であった。