6 鉄路でしか行けないコボロリゾート
−小幌−

1992年10月



  これでもキャンプ場?

 コボロという名を初めて聞いたのは「好奇心線路を行く」の打合せでだった 。編集担当のK部長、Tさん、それにカメラマンの増井氏がテーブルを囲んでい る。
 「おもしろい駅があるので行ってみないか」

 K部長が口にしたおもしろい駅とはトンネルとトンネルの間にはさまれた小さな谷にある無人駅。確かにレールマップを見ると長万部に近い室蘭本線静狩駅と礼文駅の間の海岸にその小幌駅がある。しかし道路マップにこの駅はない。


 調べてみると小幌に住人はなく道路も通っていない。それでも普通列車の数本は停車するのである。鉄路か、それとも海路でしか行けない秘境の地。確かにおもしろい。

 「すすめるからには部長もTさんも行くんでしょうね」
 多少の戸惑いを見せながらも2人はすぐ同意した。じつはK部長はアウトドア大好き人間、女性のTさんにいたっては学生時代から山歩きが趣味というツワモノだったのである。

 こうして特殊探険隊メンバー4人が結成され、日程も9月初めの1泊2日と決まった。トクシュというのはフツーの重々しい探険隊ではな く、軽々なフツーでない探険隊という意味である。

 出発までに小幌についての2つの情報がもたらされた。まず秘境のはずの小幌が何気なく眺めていた「全北海道キャンプガイド」(北海道総合出版)に載っていたのである。

 よく読むと〈開設期間/使用自由〉〈設備/なし〉〈オートキ ャンプ/車道なし。できない〉〈利用料金/無料〉〈貸し用具/なし〉〈駐車場 /なし〉〈管理人/不在〉と見事なほどのないないづくし。インフォメーションに〈沢水しかなく、利用の可否不明。飲用水は携帯したほうがいい〉とある。

 果たしてこれをキャンプ場と呼んでいいのか。ただしこのガイド本によって 、小幌海岸で野宿してもおとがめがないことは確認できた。収穫といえば収穫である。

 もう一つはそこに観音様のお堂があるということだった。たまたま別な取材で豊浦町の人に会う機会があり教えてもらったのである。岩屋観音、別名首なし観音と呼ばれ、その由来は「首なし観音」というタイトルの絵本にもなっていて学校の教材に使われているという。

 あとで豊浦町教育委員会発行の絵本を送っていただいた。小幌にあるのは名ばかりのキャンプ場だけではないらしい。

  人気は堂々3位、駅舎もあった

 9月1日午後。テントやシュラフ、炊事道具、水タンクを背負い、長万部で買い込んだ食料品袋を両手にぶら下げた特殊探険隊は室蘭行き普通列車から小幌駅に降り立った。

 「なんだ、建物があるじゃないか」
 予想に反して駅の周囲には建物がトイレも含めて4つあって、2つは保線のための建物。ヘルメットをかぶり安全靴をはいたJRの人が2人、我々と一緒に小幌で降りた。さっそく点検作業を始めている。

 それに小さな待合室。中に入って驚いた。壁に「旅のおもいでノート」なるものが2冊ぶら下がっている。小幌は鉄道マニアには有名な駅らしいのである。 全国から学生などがやって来てはノートに書き込んでいく。

 廃材で建てられたお世辞にも立派とはいえないこの待合室につけられた名前がなんと「小幌リゾートセンター」。ノートの中にリゾート人気ランキングなる傑作を見つけた。1位トマム、2位ニセコ、そして3位に堂々コボロが食い込む 。4位がサホロ、5位はコマキオンセンとづっこける。防虫スプレーをシューシューさせながら、期せずして出合った旅人の文章をしばし拝読する。

 意外な展開で心を乱したが気を取り直しいよいよキャンプ地である。標高50メートルほどの位置にある駅から海岸に下りていく。途中かなり急な道にさしかかった。水の入った背中の荷物が重い。買い物袋が手に食い込む。

 10分ほど歩いてついに到着。景色を眺めるよりもまずは缶ビールで乾杯であ る。汗だくの体にビールの冷たさが心地よい。一息ついてようやく余裕が出てきた。

 両側を断崖で囲まれた小さな入り江。コンクリートの岸壁があるにはあるが 、ところどころ壊れており修復の跡はない。
 絵本「首なし観音」によると昭和40年ごろまで7、8戸の家があった。コンクリートはそのなごりにちがいない。 岸壁上は一面のやぶ。下は玉石の浜。ヘビの抜けがらがあったとTさん。いかにもマムシが出そうだと弱音を吐く。

 テントを張り、4時には早々と夕食の準備である。長万部で買ってきたヤナギノマイとアサリで鍋をつくる。殻つきホタテをコールマンのコンロでそのまま焼く。缶ビールは川に入れておいたらちょうどいい冷え具合である。




  深夜の投石試合

 夜の浜辺。薄曇りで星は数えるほどしかない。沖に船あかりもない。ランタ ンのあかりで岩屋観音の絵本を朗読する。
 むかし諸国を旅していたみすぼらしい身なりの坊さんが洞窟にこもり、ナタで木を削って観音像をつくった。この坊さんが有名な円空大師だった。

 その後、 別な旅の坊さんがやってきてクマに追いかけられ、洞窟の観音様の陰に隠れた。 念仏を唱えているうちに気を失ってしまったが、気がつくと鋭い歯で食いちぎられた首のない観音様が転がっていた…。


 4人ともたき火のまわりから離れられない。そのうちK部長が突然石ころを拾って渚に放り始めた。
 「こんな石投げたって、海岸線の形はちっとも変わらないんだよな。俺が死んでもほかの人たちはちゃんと生きていく。何も変わらない…」
 K部長に引きずられるように私も石を投げだした。玉石の浜なので手ごろな石ころはいくらでもある。続いてTさん、そして左手を負傷して血が止まったばかりの増井氏までも。

 石ころが次々と渚に吸い込まれていく。そこに波が迫ってきて、ドドドーという音とともに投げた石の何万倍もが押し戻されてくる。確かに我々の投石は海岸線の形に影響を与えていないようだ。

 直径30センチほどのプラスチック製浮き玉が海岸に打ち上げられている。 オレンジ色が闇の中に浮き出ている。いつしか投石の目標はこの浮き玉に変わっていた。命中すればパーンと景気のいい音がする。4人はだんだん熱くなっていった。声を張り上げ、拾っては投げ、拾っては投げ…。

 当たった石の力で玉はじわじわと押され、ついには海に引き込まれていってしまった。投石は力なり。異様に盛り上がったミッドナイトの石投げ競争はこれをきっかけに終了した。

 そのころ上り北斗星が小幌駅を通過したはずだが、まさかこんなところで大の大人が石投げに興じているとは、乗客のだれもが思ってもみないだろう。

  円空大師とプラスチックゴミと

 タマゴ入りインスタントラーメンと残りごはんの朝食を済ませて、岩屋観音を探しにいく。いったん駅に戻り、海岸へまっすぐ下りる道ではなく、途中から左に入って行く。

 森の中を歩くこと20分。キャンプした所からは見えないもう 一つの入り江に下りてきた。

 断崖の下の洞窟内にコンクリート製のお堂が建っている。残念ながら外からは見えないがこの中に修復された観音様が立っておられるはずである。真っ暗でひんやりした洞窟内は霊験あらたかで、厳粛な気分になってくる。両手を合わせて今度の旅の無事を祈った。

 洞窟を出て、あれっ? どうしてこんな物まであるんだ? 人けのない入り江にいろんなゴミが打ち上げられている。
 見つけたのは独特な形をした白いプラスチック。私の娘がよくイトーヨーカドー前の自動販売機で買ってくるアイスクリームの芯である。

 円空大師の観音様と自販機で売っているアイスクリームの芯。 まぎれもなく私は今を生きている。