立ち売りよいつまでも
ー厚岸ー


1992年5月



  早朝の客のお目当て

 午前7時半過ぎの花咲線厚岸駅構内。根室行きの下り列車が朝日を受けて向 かってきた。氏家勲さん(47)が出来たての弁当を並べて乗客を待ち構える。二両編成の列車が止まり、ドアが開くやいなや、中学生か高校生らしい男の子たちが次々に飛び出して来て、何のためらいもなく氏家さんの前に群がった。

 ちょ うど春休みで、釧路に着いた夜行の「まりも」から乗り継いで来たようだ。ガイドブックなどには数種類の弁当が載っているが、今売られているのは「 かきめし」のみ。学生たちはそれを目当てにホームに飛び出してきたのである。 その場で10個以上は売れた。

 次に弁当やお茶の入った台を持ち上げ、ベルトを肩に回したスタイルで列車 に沿って歩く。
 「えー、弁当。お茶に弁当ー。えー、かき弁当ー」
 久しぶりに耳にした弁当売りの声である。最後に聞いたのはいつだったろう 。思い出せない。「お弁当いかがですか」という車内販売の声しか聞かなくなった身にはかなりぜいたくな響きである。

 ホームにはもう一つの声が列車の運転席の方から流れて来る。早口で延々と 繰り返している。
 「この列車は根室行のワンマン列車です。危険物は持ち込まないでください。 この列車は根室行の…」
 ゆったりした駅弁売りの音、ワンマン列車を告げるせわしげな音、厚岸駅の朝のホームには対照的な音が飛び交っている。それでも不思議と違和感がない。

 しばらくして釧路行きの上り列車も入ってきた。こちらは一両だけなので正確には単車とでも呼ぶのかもしれないが、とりあえず列車としておこう。ホームで待っていた根室行きの一両が切り離され、釧路行きに連結されて二両編成 となる。その作業があるため上り下りとも停車時間が長く、弁当の立ち売りには好都合なのである。

  新米立ち売り屋

 発車時刻を待つまでもなく、用意した20個は売り切れてしまった。朝一番の釜で20個作り、私と増井カメラマンの朝食用に2個確保してあるのでホームで売ったのは18個である。氏家さんは足どり軽くで駅前綜合食堂の看板を掲げた氏家食堂に帰っていく。

 厚岸駅の「かきめし」は「全国珍弁味くらべ番付」で東の大関にランクされたほどだそうで、味の方は折り紙付きである。それに最近はホームでの立ち売り がほとんど見られなくなった関係で、厚岸が俄然注目されている。新聞やテレビなどがこぞって取り上げ「かきめし」ばかりでなく氏家さんその人も全国的な有名人になってしまった。

 前日、花咲線の車窓からシラカバ林を眺めながら、これからお会いしようと いう氏家さんがどんな人なのだろうとあれこれ考えていた。期待と不安が頭を交 差していた。何度も報道された氏家さんの駅弁に対する姿勢、こだわりは感動的であった。ところがテレビで拝見した短髮の顔は正直言ってかなりこわそうなのである。

 それに次から次にと取材に来られれば、いいかげんいやになるのは当たり前。画面に映し出された顔を思い浮かべるたびに、不安が頭を走り抜けていった。
 お会いするとそんな心配はすぐに吹っ飛んだ。寡黙な職人といった勝手なイメージを作って訪ねたのに、本人はいたって話し好き。あまり笑わないが、笑うと突然コメディアンの顔に変身する。

 氏家勲さんが立ち売りに出るようになったのは今年の正月からである。それまでは父親の康彦さん(67)が出ていた。勲さんは釧路に家庭を持っており、調理師のほか、配管工、土木作業員、ダンプの運転手などをやった後、4年前から両親の経営する食堂に釧路から通って厨房の仕事を始めた。

 ところが母親は一昨年に他界、今年の元日には父親の康彦さんが交通事故にあう。食堂の休業どころか、父親とともに守り続けてきた駅弁売りまで危うくなったのである。

 そこで自分で駅に立った。初めは「弁当ー」の声がなかなか出なかった。今では堂々としたもので経験がたったの3ヵ月とはとても思えない。ただし乗客が窓を開けたらすかさずサッと寄って行くようなベテランのまねはとてもできないという。康彦さんの怪我はかなり回復しているが、たとえ全快してももはや自分が立たねばならないと思っている。

  母の意を継ぐ

 ヒジキごはんの上に甘辛く煮たカキ、ツブ、アサリ、フキを載せ、福神漬けとタクアンを添える。味は以前とまったく同じ。少しでもおいしく見えるようにカキなどの並べ方を変えた程度である。

 食べ始めると人気のわけがわかってくる。ごはんは味付けなのにふっくらしている。上の具は別々に煮ているだけあって、カキを中心にそれぞれの持ち味がよく出ている。増井氏と二人で言葉を発する間もなく夢中で食べ終わってしまった。

 値段は620円。現在1個100円近くするカキを3個使っている。もうけは薄く、人件費や設備費がかからないために何とか維持できている状態だそうである。

 「おふくろが、学生さんにも食べてもらってもいいんでないの、と520円でやっていたんです。どうしてもきつくなって去年から上げてもらったんですが …」
 カキなどの具はもちろんのこと、米も最高のものを使う。容器は今、何の変哲もないプラスチックだが、できれば香りのいい木の箱を使いたいと思っている 。しかし…

 「木の折り箱だとごはんがくっついてベタベタするでしょ。ごはんを損したような気になる。それにごはんがいっぱいついたまま投げ捨てたときにすごく汚ら しい感じがするしね」
 細やかな心の持ち主である。厚岸まで持ってきた私の先入観から実像はどんどん遠ざかっていく。この『意外』があるから旅は楽しい。



  日本で一番遅くまでカキを味わえる町

 氏家食堂をあとに、厚岸港付近を探索する。まず目に飛び込んでくるのが白 と銀で統一した二つの近代的建造物である。一方は町役場でもう一方は海事記念館。双方を上空から見ると船の形になるという凝りようである。

 記念館は1階が 船、2階が宇宙をテーマにしていてプラネタリウムもある。室内は明るくきれいで、もともと水産業の取材を専門にしていた私としてはなかなか魅力的な展示内容であった。

 そこを出て魚市場の前を過ぎ、真っ赤に染められた厚岸のシンボル、厚岸大 橋を渡る。向こう岸でカキをむいていた山本隆さん(56)に出会った。これ幸いとばかり、厚岸のカキについて疑問に思っていたことを聞いてみる。

 まず時期である。1年を通して「かきめし」を作っている氏家さんは、産卵期の一時期に急速冷凍したカキを使うだけで、あとはできるだけ生を使うと言っていた。これから暖かくなるので、普通はカキの時期ではない。大丈夫なのだろ うか。

 山本さんの答えは、春先から花見のころまでが味としては最高。というのは厚岸は寒流地帯で水温の上昇が遅く、それだけ旬も遅れる。カキの産地としては日本で一番遅く旬が来るのである。

 ホテルの夕食はカキフライにカキ鍋、殻のまま焼いたカキも付いていた。ちょっと寄った居酒屋で通しに出たのがまたまたカキフライ。さらに翌日の朝は「かきめし」とカキを食って食って食いまくっても、飽きることがない。
 それにほかの魚も実に良かった。厚岸はやはり魚のうまい港町である。