あれも北海道!これも北海道!
   道産品活躍の場を訪ねて    

【富山の鱒寿司】


 2003年春、あるところから本州の名産品、有名食品、料理などでじつは北海道の農水産物が使われているというケースを取材してくれとの依頼を受けました。桧山のサクラマスが富山の鱒寿司に、名寄のもち米が伊勢の赤福に、十勝のジャガイモデンプンが盛岡の冷麺に…。道内各地と本州各地を駆け足で回りました。まずは鱒寿司について紹介します。

おみやげ人気NO1

 JR富山駅に降り立ち、駅構内の売店で目につくのが山のように積まれたワッパの弁当、鱒寿司です。「富山といえば鱒寿司」と言われるほどの名物なんだそうです。

 あとで富山市に本店がある北陸銀行の人に札幌の飲み屋で聞いたところ「富山にはアレしかないから」なんて言っていました。ふだん食べるというより、富山からのおみやげとして人気を保っています。

 ちなみにインターネットで「あなたが富山の幸といえばコレだと思う名産品は何ですか?」という人気投票のサイトを見つけましたが、鱒寿司は39%を獲得して第1位。2位の富山米の1・4倍、3位ホタルイカの2・3倍、4位ブリの4・4倍を獲得していました。人気は本物のようです。

 この鱒寿司に使われているのが北海道産のサクラマスだというのです。

主な産地は桧山地方

 まず事前にサクラマスの産地を訪ねました。北海道のサクラマスの主な産地は道南日本海の桧山地方です。ほかの地方でも獲れてはいますが、微々たる量で、桧山が圧倒的。ただし絶対量はサケ類やカラフトマスとは比べものにならないほど少なく、それだけ価格も良く、貴重な資源となっています。

 桧山沿岸では主に小規模な定置網で漁獲しています。港に水揚げされるとすぐに氷が入った発砲スチロール箱に入れられ、函館の市場に運ばれます。そして時刻を問わずにサクラマスだけのセリが行われ、冷蔵会社に引き取られます。

 海で水揚げしたときも、棒で頭を打って気絶させるなど、鮮度を保つために細心の注意を払って出荷しているとのことです。

 市場で売買されたサクラマスはいったん冷凍され、まとめて富山に運ばれます。


函館の卸売市場市場に並んだサクラマス(函市にて)

将軍吉宗が絶賛

 富山駅で売られているのは最大手「源」の鱒寿司です。そのホームページによると、江戸時代にこんなエピソードがありました。8代将軍吉宗が、富山藩から献上された鮎の「すし」を食べて、これはうまいと驚きの声を上げました。これはきつく塩をした鮎を戻して作った飯寿司のようなものだったようです。


富山駅で売られている源の「ますのすし」

 これで気をよくした富山藩は翌年、一夜で仕込んだ「はやの酢(すし)」をはるばる立山連峰、黒部峡谷を越えて江戸城に運び込み、その後も毎年献上しました。それが今の鱒寿司とほぼ同じものだったといいます。

 最大手の源は加盟していませんが、富山市内の15店で組織する富山ます寿し協同組合という団体があり、訪ねてみました。事務局長の若嶋弘さんに聞きました。

 市内中心部に七軒町という地名があります。そこは明治の初め、7人の侍が神通川で獲れる川魚をあつかったのが由来だと言われています。私は札幌市西区の八軒というところに住んでいるので、妙に親近感ある話です。明治時代には北海道だけなく全国各地で新しい地名がどんどん増えていったのでしょう。神通川は富山平野を貫いており、冬はサケ、暮れから春先はサクラマス、夏は鮎を獲っていました。

 昭和30年代に入るとマスの遡上が悪くなり、日本海の沖合で獲れる海産のサクラマスに切り替わっていきました。そしてそれも獲れなくなり、北海道産が入ってきたのです。

 現在の鱒寿司店はその生い立ちから3つに分けられるそうです。ひとつは川魚から出発した店でおみやげとして店頭販売しています。 二つ目は源のようにホテル経営から駅弁に進出したところ。もう一つは寿司店で鱒寿司を出していて、それが独立したり、総菜屋だったりしたところ。鱒寿司をつくっているところがどれくらいの数に上るのかは、富山市外にもあって把握しきれていないそうです。

 再び源のホームページに戻ります。明治41年(1908年)、北陸鉄道富山停車場(富山駅)が開業し、富山ホテルが構内営業を許可されました。そしてその4年後の明治45年「ますのすし」が駅弁として初登場したのです。これが源のルーツです。

 源の本店は富山の中心部からちょっと離れた高速道のインター近くにあります。そこでは鱒寿司の製造現場がガラス越しに見られ、大食堂を持ち、富山の伝統工芸などを見たり買ったりできるできる大型施設です。駅で売られている駅弁はほとんど源が作っており、ワッパの1段重ねが1100円、2段重ねが2000円。本店ではその倍もする高級な鱒寿司も売っていましたが、これには予約が必要とのことです。


源本店では加工現場がガラス越しに見学できる

サクラマスにこだわる店

 それでは北海道産のサクラマスはどう使われているのか。卸売市場を訪ねてみました。鱒寿司はいまや養殖マスがほとんどでサクラマスをつかっているところは少ないはずだと産地の桧山で聞いていました。

 富山中央水産冷凍塩干部副部長の広谷宗司さんによると、鱒寿司の原料は大半が輸入物の養殖マスになっており、ほんの少し使われるサクラマスはほとんどが道南産だそうです。ただ品質については不満があり、ひどいのが紛れ込んでときどきクレームが来ます。

 これは意外でした。桧山地方一帯をカバーする桧山漁協では水揚げから市場まであれだけ鮮度に気をつかい迅速にことを運んでいるのに、クレームが多いとはどういうことでしょう。
「産地にはすぐに冷凍をかけてくれと言っています。気温の高い時期なので、1日放っておいてもらっても困るし、緩慢凍結でも困る」

 産地から市場までではなく、市場で買った側の問題なのかもしれません。または鮮度が落ちたほかの産地のものが紛れ込んで、それがクレームの原因なのかもしれません。冷凍されてしまえば外観で鮮度を判断するのは難しいのでしょう。

 養殖マスに切り替わってしまった中で1軒だけサクラマスだけにこだわっている店があると広谷さんから教えていただきました。

 市内を流れる松川は観光客を乗せた舟も浮かぶ美しい川ですが、その周辺に鱒寿司店は点在しており、目指す前留もそこにありました。サクラマスをさばく職人さんの仕事が外から見られるようになっています。


サクラマスにこだわる前留

 大阪ナンバーの車が止まっていて、2人づれの客が鱒寿司を10個以上も買い込んでいました。それだけおみやげとして人気があるようです。前留の店主、前川勝美さんから話を聞くことができました。 

 以前は日本海で獲って船内で冷凍したサクラマスを山形などから仕入れていましたが、今はなくなったので北海道産などを使っています。サクラマスにこだわる理由は、身が柔らかく独特のおいしさがあるためだそうです。ただし価格の高さが悩みのたね。そして味が値段の差くらいあるのかといえば、そうでもないとのことです。

 富山の鱒寿司はワッパの1段が1100円、2段で2000円と統一されています。これは駅売りも専門店も同じです。同じ売値ですから原料価格はコストにもろに利益に響いてくるのです。





街のいたるところに鱒寿司の看板が


人気の理由が解った

 さていよいよ試食です。まず駅で売っていた源の鱒寿司です。ワッパの上と下には2本ずつ竹の棒がわたしてあって、上と下の竹棒に太い輪ゴムをかけて蓋を押しつけています。これは中の空気を押し出し、悪くなるのを抑えるためだそうです。蓋を開け、周りの笹を外に広げ、付属しているナイフで丸い寿司をケーキのように切ります。

 なるほど絶妙な味です。鯖の押し寿司をイメージしていましたが、まったく違った上品でさわやかな味。これは原料うんぬんより、やはり職人の技かな、と感心しきりでした。

 コンビニでも売っていると聞いたので、おにぎりと半月型のものを買ってみました。マスの薄さが気になりますが、やっぱりさわやかで上品な味でした。


コンビニでも売られている

 前留で買った鱒寿司は次の宿泊先である大阪に持って行きました。蓋を開けたところ、ご飯が上にあってマスが下に敷いてあります。これは切ったあとにひっくり返して蓋の上に載せると食べやすいという配慮だそうです。

 知り合いの料理人に食べてもらうのですが、最初はたいしたことないだろうという反応。やっぱりバッテラなんかをイメージしているようです。ところがひと口食べるとその表情がみるみる変わりました。マスとご飯と酢とそのほかの調味料が見事に調和しているのです。おみやげとして絶大なる人気を誇るのも、その技あってのことと納得させられました。


前留の「鱒の寿し」 
蓋を開けると寿司飯だが、撮影のためにひっくり返した

 さてこの鱒寿司、原料のサクラマスが足りなくなって、さまざまなマス類で試したようです。ただしマスという名がつかなくてはダメ。サケではダメなのです。

 一時期それが問題となりました。富山の鱒寿司にサケが使われていることが問題になったのです。おみやげですから原材料を表示する必要があります。そこに○○マスと書いていればいいのですが○○サケなら鱒寿司とはいえません。北海道人からすれば、マスよりサケの方がイメージが良かろうと思うのですが、少なくとも富山では、サケではなくマスでなくてはならないのです。

網走発の新名物

 さて、富山の鱒寿司の原料としてオホーツク海でとれるカラフトマスが試されたことがありました。このマスなら大量に獲れてしかも安価、原料としては申し分ありません。しかしこれは日にちが経つと独特なにおいがしてくるのでダメだったようです。なにせおみやげですから最低2日は保たなくてはなりません。

 諦めきれないのがカラフトマスの産地、網走の人たちです。使われているワッパも近くの留辺蘂町産らしい。富山がダメなら自分たちでつくってしまおう。カラフトマスをオホーツクサーモンと呼び換え、人気を高めようという運動も始まっていました。

 産学官の産業クラスター研究会で「オホーツク鱒寿し研究部会」を立ち上げ、試作が始まりました。昨年春に研究会事務局長の元角文雄さんを訪ねたときには「おいしいときもあるが、味にばらつきがあって安定しない」と話してました。でも商品化には意欲的でした。

 ついに今年の冬に、流氷観光砕氷船「おーろら」のターミナル売店での発売にこぎ着けたという報道がありました。5月からは女満別空港と網走駅で売り出しました。

 名前は「熊の手土産 せっぱり」。せっぱりは背張りで、カラフトマスのオスが成熟して背が山のようになる姿の表現です。容器は舟の形をしていて笹でくるんだ鱒寿司が5つ並んでいます。マスとご飯との間には青ジソとチーズが入っているそうで、富山とはだいぶちがうものになったようです。

 富山でも各店が独自のやり方で改良を加え、現在の形になったはずです。網走の「せっぱり」もぜひ名物として定着してほしいものです。
春秋ほっかいどう 2004年夏号


良いものを 各地から