第4回 トマト −森町濁川・平取町−

フレッシュファミリーin産地

トマトと温泉のホットな家族

JA渡島森 中谷豊久さん一家

 「ハウスの雪を払ったことが、これまで2回くらいあったかな」

 ハウス歴26年の中谷豊久さんがこともなげに言う。雪害で悩まされたことが一度もないというのだ。まさに温泉熱サマサマである。

 渡島管内森町濁川地区。北海道唯一の地熱発電所があるところとして有名だ。ここで中谷さん家族は稲作7haとトマト主体のハウス栽培をしている。

 田んぼを100mほどボーリングすれば温水が湧き出る土地柄で、農家個人がハウス栽培のために温泉を掘り、ほかに地熱発電の温水を再利用している農家もあって現在は50数戸がトマト、キュウリなどの栽培に取り組んでいる。ハウス野菜の生産額は約8億円とJA渡島森のドル箱的存在だ。

 豊久さんは酒を飲まず、パチンコ、マージャンもだめという仕事一本やり。妻の栄子さんも同様だ。

 ところが息子の久幸さんといえば正反対。高校時代にモトクロスの大会に出場するわ、バンドでドラムをたたくわ、スキー、スノーモービル何でもありの多趣味人間なのだ。

 とこで静岡県にも森町がある。遠州森の石松で有名なその町と北海道の森町とは同じ名前が縁で姉妹都市になっている。

 その交流会で久幸さんとみつ江さんは知り合った。その後久幸さんが何度も静岡県を訪ねてゴールイン。でも二人の交際について両親はまったく気づいていなかったそうだ。

 「結婚したら落ち着くもんだな」

 と豊久さん。その変貌ぶりは驚くほど。みつ江さんが嫁いできてからというもの久幸さんの多趣味な生活スタイルは一変し、乗り回していたスポーツカーもRV車に取って代わった。

 いま40代と20代の2世代は別棟で暮らし、それぞれが思ったように生活している。そして一体感があり笑顔が絶えない家族でもある。



イラスト 石川寿彦氏

食をめぐる冒険

出荷態勢の整備を進め
道外市場の評価も上々


  天然資源を有効利用

 森町濁川地区での温泉熱利用のハウス栽培は昭和45年の稲作転換特別対策事業(66%補助)として始まった。

 普通何をするにも初めての試みは困難を伴うものだが、ここの場合は順調な滑り出しだったという。

 「田んぼしかないところに農協主導で始まったんですが、指導者がいたので苦労することはあまりなかったな。それだけ信頼していたということです」

 JA渡島森・濁川温泉熱利用そ菜生産組合の竹田弘之組合長(44)がいう。

 その指導者というのが森町農林課構造改善推進員の中田淳さん(67)。当時は道の農業改良普及員だった。

 「温泉熱利用に個人的に興味がありましてね。伊豆半島や鹿児島県の指宿などを訪ねて勉強していた。そしたら濁川で温泉熱利用のハウス栽培を始めるというので森町の普及所に呼ばれたんです」

 最初に23戸で始めたのが春と秋にキュウリ2回の栽培。翌年からは連作を避けるためキュウリのあとにトマトをつくり始めた。

 こうした温泉熱利用ハウスでは各農家が自分で井戸を掘って温泉水を利用している。それとは別に濁川地区には地熱利用のハウス農家もある。

 昭和57年、この地区に北海道初の地熱発電所が建設され営業運転を開始した。温泉の井戸よりさらに深い地熱井からは蒸気や熱水が噴き出し発電に使われる。

 発電で使えない低い温度の熱水は地中に戻されるが、それで清水を暖めハウスに利用。現在後発の地熱利用が17戸、先発の温泉熱利用が38戸となっている。

 この地熱利用のハウスが始まったとき田中さんは道の普及員を中途退職し、森町の職員に転身、地元密着の普及指導活動を続けることになった。バイクで農家を1戸ずつ巡回し、一巡したらJAにレポートを提出。そのレポートも農家の人たちが読んで理解しやすいように要点は三つだけに絞るなど工夫したという。

 「30軒くらい回ると最初と終わりの方で自分の考え方がちがってしまうこともありましてね。それじゃ最初に行った農家にはちがうことを言ったことになる。それに大事なことを言い忘れることもありますから必ず文書にしてみんなに読んでもらったんです」

 こうした熱心な人に支えられて濁川のハウス栽培はこれまで順調な経過を経てきたわけだ。

 20数年経った現在は春にキュウリ、秋にトマトというパターンと春秋ともにトマトという二つのパターンが半々になっている。春にもトマトをつくり始めたのはトマトの方が収益性が高いため。冬はタイナなど葉ものをつくっている。

 それぞれの農家の温泉の温度・量のちがいなどで異なるが1年間の栽培パターンはおおむね次のようになっている。

 キュウリでは1月下旬に播種し3月中旬〜7月上旬に収穫、トマトでは12月に播種し、3月下旬〜6月下旬まで収穫する。秋のトマトは六月下旬ごろ播種し9月上旬〜11月上旬に収穫する。

 春のトマトは道内の生産地では断然早く出荷でき高価格が期待できる。秋のトマトは道内だけでなく関東方面でも人気を博している。

 JA渡島森が特産品のカボチャのほかメロン、バレイショを売り込みに関東地方の市場を回った際、秋にトマトも生産していることを話すとすぐ引き合いがあった。

 「道内からトマトを送るというので最初はおっかなびっくりだったんです。9〜10月にかけてのトマトがこんなに評判がいいとは思いませんでした」

 と竹田組合長。田中さんは「そのころの道外のトマトは焼け熟みするので日持ちがしない。ここのトマトとは全然ちがいますよ」と説明する。濁川のハウストマトは温泉・地熱という独自の強みを生かし、ほかより時期をずらすことによって独自の価値を生み出している。

 「各農家によって事情はちがうが規模を拡大できるところもある。労働力の面でも共選施設が必要で、すでに計画はできています」

 と竹田組合長。道外を視野に入れた増産の戦略を練り上げている。


  目標は日本一だ

 道内一のトマトの産地として自他ともに認めるのがJA平取町。トマトの生産額は平成7年に10億円を突破し、JA平取町トマト・胡瓜部会が今年ホクレン夢大賞を受けた。

 単協としてのトマト生産高は道外の広域JAにかなわないが農家1戸あたりの生産高は日本一ではないか、といった声も聞かれるほど。しかし仲山浩トマト・胡瓜部会長(43)は「まだ日本一とはいえない。でも日本一の生産地をめざす」と謙虚な上に大きな目標を掲げる。規格外品などを使ってトマトジュースもつくっており、その評価も高い。勢いを感じるトマト産地である。

 水田の転作作物としてハウス栽培を始めたのが昭和47年。たった6戸の農家だった。

 その後嵐によるハウス倒壊などの試練を乗り越え着実に前進。昭和57年に共同選果場を建設したことで労働負担が軽減され生産量はその後どんどん伸び続けた。

 58年には1億円を突破、平成4年は5億円、そして7年には10億円の大台に乗せた。

 その間、61年には規格外品でトマトジュースを試作。『ニシパの恋人』という商標を付け、その後生鮮トマトも同じ商標で売り出した。『ニシパ』とはアイヌ語で長老、旦那、紳士、金持ちなどといった意味があるそうだ。

 現在、苗づくりは共同利用のハウスで行われていて、部会員が必要とする量の95%を供給。個々で収穫したトマトは共同選果場に運ばれ共同販売される。

 収穫期間は5月末〜11月中旬と長期に及び、作付け時期をずらしながら長期出荷体制を支えている。また今年から加温栽培も始まり、4月中旬から一部出荷できるようになった。それに数年前から道外出荷を開始。札幌まつりが終わって道内の相場が下がる6月中旬ごろから道外に送り出している。

 ハウスの生産額はトマトやキュウリなどを合わせ、1戸平均1千万円といったところ。そのうちトマトだけで9百万円になる計算でウエイトは高い。

 ただし生産の規模は個人差が大きく、たとえば仲山部会長の場合トマトだけで3200万円に達するほど。コメが1200万円だからトマトは完全なメイン作物となっている。

 札幌市中央卸売市場での『ニシパの恋人』の評価はすこぶる高いものがある。質も量もそろっているためで「森のトマトが道内のトップバッターだとすれば、平取は4番バッターかな」(荷受け業者)。 

 しかし仲山部会長はそうした評価に浮かれてはいない。

 「規格外品が混入した場合はそのコンテナを部会で没収して研修費用などに充てているんですが。なにせ120名の部会員なのでまとめるのが大変。品質で個人差があるという最初からの問題が解決されていないんです。講習会とか青空教室にいかに参加してもらうか。こうした個人差をなくして、品質を底上げしていかなくては」

 日本一をめざすからにはさらなる努力が必要というわけだ。

 優秀な農家がトマトアドバイザーになってほかの農家の相談相手になるなど、様々な手を尽くして品質の底上げに力を入れている。作付け面積の小さい部会員が増産できるような支援も行い、全体の生産量と質の向上を図っている。

 そして部会で資金を積み立て、海外旅行の計画も。『ニシパの恋人』の産地には日本一に向けた勢いが感じられた。

家の光北海道版 1996年8月号

良いものを 各地から