第10回 長イモ −帯広市・幕別町ほか−

フレッシュファミリーin産地

ナガイモの収穫は冬支度前に

JAかわにし(帯広市) 矢木勇さん一家

 晴天だが風が冷たい晩秋の十勝平野。そのほぼ中央部、JAかわにしに属する矢木勇さんの畑では長いもの収穫に追われていた。遠くに見える日高山脈の山々はすでに白く、平野部でももうすぐ雪の季節を迎える。雪が降る前に秋取りの分を終えておかなくてはならない。

 10日間ほどの秋の長いも収穫は1年で一番忙しい時期。畑作の大半は収穫を終えているが、ビートだけが終盤にさしかかって同時進行。可能な限りパートの人たちを集め、江別市の酪農学園大学に通う則行さんも帰ってくる。

 まるで土木作業現場だ。畑はすでに支柱や蔓などがきれにに片づけられ、土だけになっている。そこに小型のバックホー(パワーショベル)を入れ、長いもが植え付けられた畝を2本分まとめてまたぎ、その中間を掘り進んでいく。

 その溝に人間が入って両側の長いもを手で掘り出す。遠目には遺跡の発掘現場に見えるかも。畝の長さは240メートルもある。延々と長いもを掘っては運び掘っては運びを繰り返し、コンテナにきれいに並べていく。

 JAかわにしの長いも生産額は27億円で、畑作4品などを押さえて堂々1位。矢木さんの農業経営でも長いもが大黒柱となっている。

 何しろ畑作作物が価格低迷で収益が悪化している中、長いもは反収50〜60万円を維持し、相場が良ければ百万を超えることもある。比較的耕地面積の狭い帯広近郊の農家にとってなくてはならない作物なのだ。

 午前3時起床。矢木さんは星空の下を1人で畑に向かう。バックホーを始動させ、ライトの光を頼りに注意深く掘り進む。8時にはパートの人々がやってくるので、それまでにある程度溝を掘っておく。収穫作業は夕方4時まで。重労働なのでなるべく早く切り上げるようにしているという。

 今年は畑作作物が軒並み不作の中で、長いもは平年並みを確保した。それだけ長いもが経営に占める比重は高まっている。

 超忙しい中にも終始明るい表情だった矢木さんファミリー。その笑顔を支えているのは長いもから得られる高収入だったようだ。



イラスト 石川寿彦氏

食をめぐる冒険


成長株の根菜類
種イモの確保でしのぎけずる


  生産量は十勝がトップ

 JAかわにしでの長いも栽培の歴史は昭和40年ごろにさかのぼるという。

 昭和30年代後半にバレイショ、ビート、豆類、ムギのいわゆる畑作四品が外国からどんどん輸入されるようになって価格が低迷、十勝の畑作地帯では規模拡大による収益確保が模索されはじめた。

 JAかわにしは帯広市内にあって市街地に近い農家が多かった。そのため地価が上昇して、簡単には耕地を拡大できない。そこで高収益が見込める野菜を試験的に導入した。

 30戸ほどの農家がグループをつくり、ニンジン、タマネギ、カボチャ、アスパラ、それに長イモの栽培を開始。ところが野菜の多くが主要産地からちょっと遅れて収穫時期を迎えるため、思うような価格がとれず、結局残ったのが長イモだった。

 気候風土も合っていた。ただし当時はほとんど手作業で量も少なく、帯広市場が出荷の中心。でも少しずつ大阪方面にバレイショと一緒に送られ、高い評価を得ていたという。

 昭和44年、圃場を深く耕し、植え付け時も収穫時にも威力を発揮するトレンチャーが導入される。この結果、耕地面積は急速に拡大され、1戸10a程度だったものが50a程度まで広がることになった。

  種イモ確保がカギ

 次に取り組んだのが栽培技術の確立とともに、優良な種イモの確保だった。

 長イモは1本のイモを数個に切って植え付ける。そこから1本の蔓が出て地下では1本の長いもが生長する。すなわち1年で増える量は数倍でしかない。

 ところが長イモはウイルスに汚染されやすく、一度汚染されると種イモを通して、また畑ではアブラムシを介して広まってしまう。そのため各地でウイルスによる産地の消滅が繰り返されてきたという。

 その対策として、また大きさや形など市場の評価が高い長イモをつくるためにも優良な種イモの確保が求められていた。

 昭和46年、夕張から1トンの長いもを購入。選抜育種で毎年絞り込み、5年後の51年には最終的な1系統まで絞って「十勝一号」と命名、52年からいよいよこの系統の増殖を開始し、56年には食用の長イモの生産を始め、とっくり型の「川西長いも」が市場に出荷されるようになった。

 長イモの生産ではこのように優良な種イモの確保がもっとも重要とされる。JAかわにしでは「十勝一号」の基本種をJAが管理し、アブラムシの入り込まない網室で栽培している。

 そこから供給される長イモを使い生産組合が3年にわたって増殖を繰り返し、それが一般の農家にわたり、1年栽培して種イモを増やしたあと、翌年に食用の長イモが生産される。基本種からたどって6年目にしてようやく食用がつくられるという気の遠くなる作物だ。
 こうした種苗体制はできていてもウイルスは侵入する。

 「種イモについては千分の3、食用については千分の5が罹病の上限。生産組合が畑を見回って検定し、ウイルスの管理を徹底しています。今では探すのが難しいくらいになりましたが…」

 とJAかわにしで青果を担当する部田(とりた)基雄・別府事業所長。

 この事業所にはJAかわにしだけでなくJAめむろ、JA中札内村、JAあしょろ、JA浦幌町の4JAからも長イモが搬入され、「川西長いも」の名前で共同出荷されていく。

 昭和60年に川西長いも運営委員会が発足し、この4JAが参加したため、種イモの元はJAかわにしが守っている基本種から分けられている。統計によれば平成6年のJA単位の道外移出量はかわにしがダントツ一位で2位の帯広大正の4倍にもなる5400トン余り。その中には4JAの分が含まれているわけだ。

 「見学が年間百件くらいありましてね。大変ですが、国のモデル的な事例にも取り上げられましたから、仕方ないかもしれません」

 と部田事業所長。農家の畑から集まってきた長イモはコンテナごと貯蔵庫に保管され、ほぼ年間を通して洗浄、選別され、ほとんどが道外に出荷されている。

 「天候不順で畑作作物が不作で小麦などは半作から6分作。ほかの野菜も本州の豊作で安かった中で、長イモは平年作を確保したようです。あとは相場がどうなるかですが…」

 部田所長は平成八年の出来にとりあえず胸をなで下ろしている。
 JAかわにしでの今後の長イモの生産はどうなるのだろうか。さらなる増産は難しいようだ。というのも輪作体制をとっているために現在の生産農家が作付け面積を広げるのは難しい。

 また新規着業するにも機械や蔓の支柱など初期の投資が最低でも2千万円ほどかかる。ただしLや2Lといった価格が高いサイズを多くつくるなど農家個々の努力で収益を上げていくことは可能だという。

 従来は大きい長イモの方が価格をとれていたが、最近は消費者が扱いやすいちょっと小ぶりのものが求められている。

  進むJAのグループ化

 長イモの生産状況を支庁別に見れば十勝管内が圧倒的。作付け面積は1000haを超え、続く網走管内の約200haを大きく引き離している。そのうちJAかわにしのグループが330ha程度。そしてほかのJAでもグループ化が始まっている。

 JA幕別町、JAおとふけ、JA木野、JAさつない、JA本別町の帯広の北東に位置する5JAは平成6年に十勝中央青果団地を結成、「十勝の野菜」をブランドにしたバレイショ、ダイコン、ゴボウなどの共同販売体制をつくり上げているが、ここにきて長イモ栽培についても種イモ供給を含めた共同戦線を構築しつつある。

 JA幕別町の杉山勝彦農産部長によると、長イモの生産は昭和50年代に盛んとなり、反収百万円や2百万円といった高収入をもたらしたこともあったが、その反動などで価格が暴落、ウイルス発生もあって一時期ほどの勢いはなくなった。しかしJAおとふけを核にした種イモの供給体制が確立しつつあり、来年から優良な種イモに切り替えていくめどが立ったという。

 現在の生産量はJAかわにしグループの約1万トンに対して青果団地グループは7千トン。今後さらに作付け面積を増やしていく構想だ。

 「長イモで4百町歩が夢」

 と杉山部長。販売面でも現在はそれぞれのJAが従来ルートで販売する割合が高いが、近い将来ホクレンに一本化していくという。

 道外移出の量でJAかわにしに圧倒的な差を付けられているとはいえ、JAとしては2位を保つのがメークインの産地として名高いJA帯広大正。JAかわにしと同じく夕張からの種イモの系統を独自に保持し、大正メークインの販売ルートを生かした名古屋から西の地方への販路を持つ。基本種の管理は去年から十勝農協連の圃場に委託しているという。

 平成に入ってから作付け面積が増え始め、現在は百ha程度。しかし今後は簡単には増やせない状況にある。

 「現在の生産農家が作付けを増やすのは難しいですが、新規着業の余地はあります。それで増やしたいんですが初期の投資が大きい。1500万円はかかりますから」

 と道下育青果課長。しかし減る要素も今のところないので生産は現状維持が続きそうだ。

  収穫機の導入で生産が拡大

  さて十勝は今では全国有数の長イモの産地となっているが、拡大の原動力になったのが機械化だった。

 最初はトレンチャーという圃場を深く耕す機械の導入で、大幅な規模拡大が進んだ。ほかにも現在は各農家の判断で様々な機械が活躍している。

 その代表例が収穫作業に使われる小型のバックホー(パワーショベル)。この機械が最初に導入された当時は特注品だったという。2本の畝をまたいで土を掘り出さなくてはならないので、普通の建機より左右のいわゆるキャタピラー(クローラー)の幅を広くしなければならなかった。JAかわにしではこのバックホーを使った収穫が主流。JA帯広大正も同様だ。

 一方JA幕別町では深く掘り起こすことができる特殊なプラウをトラクターで引っ張り、長イモを下から掘り出す方法が主流だという。

 そのほかトレンチャーで長イモの畝の間の土を掘り起こして収穫する方法もある。
 JAかわにしの長いも部会長を務める矢木勇さんは「さらなる機械化が今後の課題」と指摘する。

 労働力確保がますます難しくなっているだけに、中国などからの輸入にも品質とコストで対抗し、長期的な生産の安定と拡大を図るためには作業の合理化、機械化がさらに必要と言えそうだ。

家の光北海道版 1997年2月号

良いものを 各地から