第7回 ダイコン −豊頃町・留寿都村・厚沢部町−

フレッシュファミリーin産地

十勝のダイコン産地を担う

JA豊頃町 森一彦さん一家

 十勝・豊頃町の森一彦さんのダイコン畑にはまだ朝もやが残っていた。

 3家族が集まり午前5時、いよいよ収穫開始。抜き取るのは3人の女性で葉をグイと引っ張ると形のいいダイコンが顔を出す。それをきれいに畝に並べていく。葉はその場で切り取られる。

 並べたダイコンの葉を長い包丁で5センチほど残して一気に切り取る作業は、量を考えればかなり疲れる仕事のようだ。トラクターにつけたコンテナまでダイコンを運ぶ作業は重労働だけに若者が中心となる。

 速い! 流れるような作業体系である。途中でダイコン運びがちょっと休憩したほかは続けざまの作業で畝3本の10アールを1時間30分で終了させた。

 JA豊頃町では新型のダイコン収穫機をメーカーと開発し、今年13台が稼働し始めた。その性能は4人が作業をして、3時間で10アール。手作業の倍の能率だとされている。ところが森さんたち8人は10アールを1時間半で収穫し切ってしまった。ということは新鋭機械なみの能率だったわけだ。

 このチームワークの良さは今に始まったことではない。昭和36年までさかのぼるという。4軒が共同でトラクターを購入したのだった。その後1軒は離農したが、3軒共同は現在まで続いている。コムギ、バレイショ、ビート、豆類の畑作四品はすべて共同作業。それにダイコンが加わった。

 35年前のトラクター以来、機械もトラックを除いてもちろん共同。しかし作業や機械は共同だが収穫物は個人のもの。助け合いの精神が35年も続いている。

 森さんはJA豊頃町蔬菜生産組合の組合長。10年前に無から出発して、今では日本一の声も聞かれるまでに成長した豊頃のダイコン栽培を支えてきたリーダーの一人である。

 「ダイコンは10年たてば産地が代わるといわれます。これまでは10年でつぶれてしまっていたんです。でも豊頃はそうはさせません」

 と森組合長。若い世代も加わってのチームワークがそんな課題も見事解決していくにちがいない。



イラスト 石川寿彦氏

食をめぐる冒険

冷涼な気候が夏秋ものに最適
3大都市圏で圧倒的な支持


  10年で主要産地に

 十勝平野の東南端に位置する畑作と畜産の町、豊頃町。この町で本格的にダイコンがつくられ始めたのは昭和61年というから、まだ10年しか経っていないことになる。十勝地方はただでさえ野菜の導入が遅かったが、豊頃町はその中でももっとも野菜への着手が遅れたという。しかしJA豊頃町のブランド「十勝だいこん」は本州の大都市圏に急速に浸透していった。

 JA豊頃町の道外への移出量は約1万1千トンで道内JAではダントツ1位。7千トン台の2位以下を大きく引き離している(平成7年度ホクレン扱い)。

 「機械の仕事だけをやってきて、それが手作業になった。370戸のうちの37戸、1割しか参加しなかったよ」

 JA豊頃町蔬菜生産組合の森一彦組合組合長が10年前を振り返る。

 それまでの畑作四品や畜産はほとんど機械を使う農作業だった。ところが野菜のダイコンは土と素手で取っ組み合う仕事でしかも重労働。二の足を踏む人が多かった。

 しかしどうしてもダイコン栽培を導入しなければならない事情があった。それは牧草販売の不振。輸入自由化と円高によって安価な牧草が輸入されるようになって、牧草づくりは競争力を失った。草地でできる新たな作物は?と検討した結果がダイコンだった。そのほか畑作四品に加えた第五の作物を模索する畑作農家への導入も意図された。しかし着業したのは全体のたったの1割であった。

 ところがその後、ダイコンは高収益をあげ始め、それにつれて着業者もうなぎ登り。平成4年には150戸を超えた。その後高齢化や離農などで減少傾向に入り、平成8年の今年は86戸まで少なくなったが、その分1戸あたりの作付け面積は増加し、反収も増えていて、出荷量の大きな落ち込みは見られていない。

 「いろんな機械を開発したよ」

 と、10年前は生産組合の機械部長だった森さん。ダイコンの導入は牧草生産や大規模畑作農家が対象だったので、従来の作業体系に支障をきたさない省力化が大前提であった。

 試行錯誤を経てメーカーと共同開発されたのが播種、成畦、マルチングなどを同時にできる高畦播種マルチャーである。

  収穫機の開発で労力軽減

 機械化ということでは今年ついに新しい収穫機が本格稼働することになった。これまでトラクターで牽引する収穫機は開発されていたものの、自走式は初めて。JA豊頃町とメーカーとが共同開発したものだ。

 その性能は4人が従事し、3時間で10アールの収穫が可能。「フレッシュファミリーin産地」で紹介した森組合長たちのグループは新鋭機械に勝るとも劣らないスピードで収穫していたが、それも短時間だから可能だったといえる。

 長時間で大量に収穫するとなれば、機械力にはかなわない。それにいわゆるキャタピラー式なので雨など悪条件の中でも威力を発揮する。

 1台850万円と高価だが半額補助を受けてJAが購入、農家にリースする方法で今年31台導入された。ダイコン生産農家数の約3割に当たるが、面積では全体の約5割をカバーする。

 「労働力の問題やぬかるみなど土地の条件でこれからさらに収穫作業の機械化は進んでいくと思う」

 とJA豊頃町の木幡光春農産課長。農家1戸当たりの作付け面積は戸数がピークだった平成4年の1.6haから今年は2.2haへと広がっている。反収も増えているため扱う量はさらに増大している。機械化の流れは止まりそうもない。

 そのほか生産組合内に若手が中心の試験研究部会を設置。7地区に分かれてそれぞれ試験栽培を行い、最適な品種の選定を行っている。こうした努力が戸数減少にもかかわらず安定した生産を維持する原動力となっている。

 収穫の期間は6月下旬からから10月下旬まで。ほぼ毎日出荷できるように計画的に播種されている。

 選果場に集められたダイコンは洗浄、箱詰め予冷されて翌日にはトラックやJRコンテナで出荷。関東が45%、東海、京阪神で55%程度で道内にはほとんど出ていない。

 「日持ちがいいという評価を受けています。刺身のつまにするとパリッとすると…」
 木幡課長は「十勝だいこん」に絶対の自信をみせ、安定した価格がそんな自信を証明しているようだった。

  生産量では留寿都村がナンバーワン

 桧山のJA厚沢部町もダイコンの有名産地である。ホクレン扱いの道外移出は7500トン余り(平成7年)でJA豊頃町に続いて第2位。出荷先は主に中京・京阪神。道外移出ではJA豊頃町のライバルと言ってよい。

 昭和60年ころからJAあげてダイコンの生産に取り組み、現在では生産農家が約200人。JA内でのウエイトも作物別でナンバーワンの地位にある。たとえば昨年度の取り扱い計画はダイコンが15億円で、コメが11億円、バレイショが10億円だった。

 しかしこの計画は達成できなかった。この2年ほど品質が悪くて反収が減少、価格も低迷するという事態に陥り、昨年は集中豪雨も追い打ちをかけて15億円の計画に対して、8億円という思わぬ結果になってしまったのだ。

 今年の作付け面積は220ha。平成6年には329haとピークに達したが、翌7年は288haと減らし、今年は220ha。急激に減少させている。

 「今年は品質第一です」

 とJA厚沢部町の細畑幸治販売主任。品質の低下・反収減少は複合的な要因らしい。
 土壌、排水対策、品種の選定などで品質重視を貫き、中京・京阪神市場で高い評価を受ける厚沢部ダイコンの復権を果たす構えだ。

  道外移出ではJA豊頃町、JA厚沢部町に続く3位だが生産量では群を抜く存在なのが後志管内留寿都村である。作付け面積は400haを超え、道内市町村ではダントツ。ただし有力集荷業者が荷を集めている関係でJAルスツの扱いは108戸で約240haとなっている。

 本来畑作四品とホワイトアスパラが主な生産物だったが、ホワイトアスパラの代わりとして昭和55年ごろから始まったのがダイコンの生産だった。平成2年には集荷予冷施設が完成し、増産に弾みがついた。平成6年の生産は約10億円でバレイショの8億円を上回る。JAのナンバーワンの作物に成長した。

 出荷先は95%が京浜地方。名古屋、大阪方面には週2便を仕立てている。標高370メートルという冷涼な気候で、市場の受けもいい。

 「肌が白くみずみずしいというのがうちのダイコンの評価です」

 とJAルスツの石崎克典販売部長。ただ連作障害防止のために5年輪作を厳守しており、選果場の処理能力の限界もあって現在の200ha前後が生産の限界。生産者の高齢化も進んでいるという。

  産地が10年で交代するといわれるほど地力を消耗し、病害虫の障害が現れるダイコン栽培。しかし現在の産地はそうした過去の轍を踏まないため、試験指導機関と連携しながら対策を打ち出している。

 その一つが輪作の徹底だが、こうしたことで従来ような劇的な産地交代は起こりにくくなっているといえる。播種・マルチングの合理化、収穫の機械化など省力化も避けられない課題。豊頃町の自走式収穫機だけでなくもっと簡単な機械も含めて収穫の機械化はどんどん進む気配だ。

 ただし生産者のダイコンを受け入れる選果場はどこも労働力不足を抱え、ラインの自動化、ロボットの導入も進んでいるが、抜本的な対策にはなっていない。そのため現在の産地での生産量は横這いもしくは緩やかな下降をたどりそうだというのが取材しての印象だった。

 そこで10年前のJA豊頃町のような意気込みで取り組み、労働力の問題がクリアできれば、もともと北海道は気候的にダイコン生産に適したところが多いだけに新たな名産地が生まれる可能性も十分あるといえそうだ。

家の光北海道版 1996年11月号

良いものを 各地から