新北海道漁業史・私の漁業史9

水産物流通の変革

札幌市 Sさん(昭和4年生まれ)


 北海タイムス記者などを経て北海道市場協会事務局長になり、専務、副会長をつとめて現在は同協会相談役。大型店出店時の売り場面積などを検討する通産省の道審議部会の特別委員でもあり、いわば流通のご意見番だ。

卸売市場法制定で議論

 思い出深いのは昭和46年の卸売市場法の制定。それまでの市場法は中央市場だけが対象だったため、法の網を地方卸売市場にもかぶせるための法律で、当時、全国魚卸売市場連合会会長だった筒井英樹同協会会長(旭川)が法制化運動の先頭に立ち、Sさんは「鞄持ち」として参加、裏方として深く関わった。

 「45年に成立するはずだったのが1年延びたのは道漁連がクレームを付けたためでした。当時は『ホクレン、漁連、国連』といわれたほど道漁連の政治力があった。売り手と買い手が同一人物なら価格操作できるので、市場法ではそれを禁じていますが、漁協や漁連が買う方に回れなくなるので道漁連が猛反発した。私たちは、市場の隣に水協法で認めている荷さばき所を設置すれば済むことだと主張したけれども、漁連側は市場で決まった価格でなければ漁業者が納得しないと反発した」

 1年間継続審議となり、結局、道府県の条例で漁協の冷蔵庫など経済事業遂行に必要ならできるということで決着した。
 「でも今は産地加工業者の力が弱くて、漁協が大量に買って製品を作らなければならない時代になった。事情は変わっています」

情報システムを構築

 昭和43年、全国に先駆けて道の補助による生鮮食料品流通情報センターを設立、各卸売市場の価格などの情報がその日の午後にはテレックスで各地に流されるというシステムが構築され、その後システムはファクス、インターネットへと発展していった。またSさんは市場協会に入ると同時に道水産物荷主協会の事務局長を兼務、当時の高本正一会長(根室)が提唱した全国大手荷受・荷主取引懇談会を立ち上げている。

 「正月にお得意さん回りをやっても、相手が留守がちで効率が悪い。それなら荷主協会の総会が終わった直後に全国の荷受を招いて懇談会を開き情報交換しようと。商人にとって情報はシークレットなんですが、投機的なことはしないで、間違いのない商売をやろうと。最初大阪なんかは自分のところの情報を出さないで参加していましたが、それでは恥ずかしいので情報を提供するようになりました」

流通も生産者も変化せよ

 さらに荷主たちの情報交換の場として全国秋サケ会議や輸入水産物セミナー、ホタテ取引懇談会などが創設された。ただ輸入物のセミナーだけは平成10年で中止となっている。
 「輸入物のセミナーは大変勉強になりましたが、途中で大手商社の情報が出せなくなった。日本で情報交換すると談合ととられてアメリカの独禁法に引っかかると警戒してです。ホタテ市場は道漁連のワンサイドですが、消費拡大のために全国の荷受にPRして買ってもらった方がいいということで始まりました」

 時代の先を読んで数々の活動をしてきたSさんだが、今後さらに生産者も流通業者も変わっていかなくてはならいと強調する。
 「流通は環境変化対応業種だというのが私の以前からの持論です。流通業だけでなく川上の生産者も漁協も川下(消費者)環境変化に合わせて変わっていかなくてはなりません」