北海道漁業史・私の漁業史6

コンブ養殖支えた技術力

南茅部町 Yさん(大正14年生まれ)


 Yさんは南茅部町のコンブ養殖で、沖の施設の設計や洗浄機や乾燥機の開発などを独力で行ってきた。同町のみならず北海道におけるコンブ養殖の先駆者といえる。

 その技術開発力は戦前戦中の技術学校生活とその後の仕事の中で培われた。
 「小学校の高等科を卒業して昭和15年に神奈川県川崎の企業の技能者養成令による技能者養成所に入ったんです。機械製図や電気工学などを2年間学びました。乙種工業学校卒業程度の資格が得られる学校で、旋盤工3級も取得しました」

養殖試験の管理者に

 養成所を卒業してからもそこに残って助手として働いた。19年に海軍航空隊予科練に入り終戦を迎える。その後も鉄工所経営を夢見て稚内や紋別の鉄工所で武者修行を続けたものの、結局故郷の南茅部町川汲に帰って漁業に従事した。

 昭和41年に北海道開発庁が川汲と増毛で行ったコンブ養殖試験の管理者となった。そこでYさんの技術力が存分に発揮される。まず開発したのがコケムシの洗浄機。養殖施設が多くなるに従ってコケムシが付着し、製品にならない事態となった。

 「43年からひどくなりました。それでローラーの間にコンブを通して、2組のローラーの速度差を利用してコケムシを取る装置を考案した。函館の業者で作れる技術はなかったので、静岡県のメーカーに依頼しました」

特許を取得

 この洗浄装置はYさんの初の特許取得となった。また乾燥機をいち早く導入し、改良を重ねて廃熱も有効利用する低燃費の乾燥システムを考案、制作した。
 「『温度を上げれば上げるほど乾燥が早まるというのは誤った考え方だ』と書いたら公開質問状が来た。『どうしてそれが誤っているんだ』と。私の返事は『一番ものが乾くのが夏で、冬が一番乾かないかといえばそうではない。冬はとてもよく乾く。なぜかといえば湿度が低いからだ』と。そしたらたいしたお褒めの言葉をいただいてね」

 そのほか養殖施設の設計図面の作成などコンブ養殖をあらゆる角度から検討し、改良、合理化を進めた。それも技術力と卓越したアイデアがあったためといえる。

学者と二人三脚で

 研究者との交流も盛ん。長谷川由雄博士(元北水研所長)などコンブの専門家が通ってきていた。
 「長谷川さんたちはうちに作業着を置いていて、沖に出かけて調査していた。でもせっかく来ても時化で出れないこともある。私も独自で水深ごとの生長の違いを記録していて長谷川さんたちもそのデータを利用しました」

 採石場の現場監督という仕事で生活を支えながらの養殖試験で、視察に訪れる人々は年間300人以上にも及んだ。試験は見事、実を結び、コンブ養殖は南茅部町の一大産業に発展、量が安定していて質が高いために市場での地位も確かなものになっていった。

 これらの成果を道内各地で講演し、水産業界紙「北海水産」では1年にわたって「養殖一口メモ」として連載。日本水産学会で講演したこともあり、それがきっかけで日本の代表的な「魚博士」末広恭雄さんとの交流もあった。まさに浜の実践的な学者だった。

 北海道広しといえども、こうした実績を持つ漁業者はめずらしい。