新北海道漁業史・私の漁業史5

日本海のエビ桁漁業

留萌市 Sさん(昭和4年生まれ)


 戦後の小手繰り廃止政策とエビ漁場の発見によって昭和29年に正式に許可された留萌管内のエビ桁漁業だが、Sさんは昭和32年から船に乗り、今も船頭をしている現役だ。留萌漁協エビ桁部会長、留萌管内エビ桁協議会会長もつとめている。

全船が増毛に集結

 エビ桁漁業は昭和26年から28年にわたり増毛で試験操業した結果、29年に水産庁許可となった。そのため当初、エビ桁船は19隻全船が増毛を基地にして操業した。
 「増毛に番屋をもって、家族で暮らしながらエビ桁漁をしていました。家は天売島にあるから、ニシンの時期になれば帰っていく。まだその当時は沖合でニシンが獲れていましたので」

 Sさんが船に乗ったころからこの漁業は急速に水揚げを増やしていく。魚探と無線機が積み込まれ、仲間と連絡をとりながら漁場を探すことができるようになったためだった。そこで増隻運動も起きて、各組合が自営船を持ったため11隻増えて計30隻となった。基地も増毛のほか留萌、苫前、羽幌と4カ所に増やされた。

 エビ桁網は網口が開かないようにビームを付けたかけ回し式の底引き網。15トン型の船を使い、網を2,000mもあるロープ2本で引っ張り、巻き取っていく。船尾に着けた2機の大型リールが船の特徴だ。
 「3トン半もあるリールをふたつ船尾に付けているんだから、自転車の後ろに米1俵を積んで走っているようなものだ。悪天候では出漁できません」

 漁場は150m以深で、主にトヤマエビ(ボタンエビ)を漁獲した。
 「増毛にいたころは船頭たちがハイヤーで留萌まで出てどんちゃん騒ぎをした。ニシンの水揚げがなくなったので、エビ桁は当時の基幹産業でした」

スケソウ延縄と競合

 カレイなどを獲る沖底船の漁場は浅いので競合はあまりなかったが、昭和40年代に入ってスケソウ延縄漁が盛んとなり、それとは直接競合した。
 「増毛だけでも20トン以上の船が70隻くらい集まって、留萌管内だけでなく、小樽からも岩内からも来る。船が並んで雄冬沖から天売沖まで一斉に縄を入れるんです。その縄を揚げないとエビ桁は漁ができない。延縄船は漁がないと2番縄、3番縄と入れる。1日中走り回っただけで1回も操業できないこともありました」

 その当時、一番経営が苦しかった。しかし45年ごろになるとスケソの水揚げがなくなり、延縄船との競合もなくなった。そしてこの時期にトヤマエビに代わって獲れ始めたのがホッコクアカエビ(甘エビ)だった。その後近年までホッコクアカエビが水揚げのほとんどを占めてきたが、また最近はトヤマエビも獲れだしている。

魅力ある漁業

 Sさんは夏にイカ釣りをやって、9月中旬から5月いっぱいエビ桁をやる。年間の水揚げは5,000万円強になる。
 「よし、今日はあそこに行ってみようと、網を入れたら、それでドッと入ればおもしろいね。自分の勘が当たるときが。この歳になってもまだ船に乗っているのは楽しいからだよ。網を揚げて、エビがピンピン跳ねて、それを選ぶんだから。まだまだやめられない」